8月23日 子供に財産を残すべきか?
これはまた……すごいタイトルだな……。
えー、子供に財産を残す気のない富豪たちというのは……。
ナイジェラ・ローソン イギリスのシェフ 資産?
ゴードン・ライゼイ イギリスでレストラン経営 資産7000万ドル
アシュトン・カッチャー ハリウッド俳優 資産?
スティング 音楽家 資産2億1000万ドル
エルトン・ジョン 音楽家 資産?
アンドリュー・ロイド・ウェバー 作曲家 資産10億7000万ドル
ジョージ・ルーカス 映画監督 資産53億ドル
ローレン・パウエル・ジョブズ Apple創業者の妻 資産147億ドル
マイケル・ブルームバーグ ブルームバーグ創業者 資産1060億ドル
マーク・ザッカーバーグ Facebook開設者 資産1820億ドル
ウォーレン・バフェット 投資家 資産1340億ドル以上
ビル・ゲイツ Microsoft創業者 資産1341億ドル
ひぇぇ……世の中にはすごい金を持っている人がいるものだな……。
しかしここに挙げた人たちはみんな我が子に資産を譲る気はまったくない……と公言している。なにかしらのボランティア団体や、それに関連する団体に寄付すると話している。
まあ、こういうのは個人の話なので、好きにすればいいのだけど……。話のネタとして面白いので、ちょっと考えてみようか。
今回、このテーマに挙げられた富豪たちは、みんな我が子に資産を譲る気はない。共通する理由は、最初から恵まれた状態でスタートしても、それは「自分の力」ではない。料理家ナイジェラ・ローソンは「お金を稼ぐ必要がないと、人は堕落してしまう」と語る。昔ながらの言い方をすると、「ハングリー精神が身につかない」と。
これはある意味仰る通りで、「世代交代」のタイミングはなにかと危うい。大成功した富豪の2代目は、親が歩んできた苦労など何も知らない。あらゆるものがそこにあることが当たり前の中を生きる。生まれたときから最高の教育を受けることができて、栄養管理された美食、恵まれた友人関係、進学や就職は親のコネでスイスイ……。それが当たり前の中で育つと、2代目のボンボンは、次第にそういう家庭に生まれなかった人たちを見下すか、猛烈なコンプレックスを抱くかのどちらかになる。
資産家の息子であるという身分が当然であると考え、周囲を見下すタイプの人は、あらゆるものを見下す。仕事も見下し、「まあ本気出せば行けるっしょ」なんて舐めプレイしていて、いざ親から経営を任された途端、ガタガタと崩れる。よくある話だ。
世の中のあらゆるものに対し、舐めプレイは絶対にダメ。人の上に立つ人、表に顔を出すような人は特にだ。
「知性」というものは、そうそう簡単に身につくものではない。例え優れた教育を受けていたとしても、身につかない人は身につかない。私たちの世代の学校教育はそれなりに洗練され、様々な過去の失敗があって積み上げてきたものだから、庶民教育でも実はそれなりにレベルが高い。しかし、肝心の、「なぜ教育制度が生まれたのか?」「どうしてこういう教育の形式になったのか?」……そういう根本の経緯のようなものが抜け落ちやすい。
これはあらゆることに言えて、なんでそういうシステムなのか、どうしてそういう振る舞いをしなければならないのか……過去に何かしらの失敗があったからなのだが、教育はそういう「根本の経緯」をすっ飛ばして、結果としてできあがった「形」のみを教える。すると、その形のみを教わる新しい世代の子供からすると「なぜそれが必要なのか?」が理解できない。
そこで教育の世界で編み出した方法……いや、人間の「認知グセ」というやつだが、「道徳の問題」「モラルの問題」にする。
その仕組みを守らねばならない理由は何なのか? それは道徳の問題だからだ! 人間は自身は正しくあろうとしたい……という欲求が強い。この意識がなくなるとモラルが崩壊する。道徳の問題である……ということにすれば、教えられたことを守ろうとする。
ただし、道徳の問題ということにして作られた規範というものは、「知性」ではない。やはり、そうなるに至る「経緯」、つまり先人がいかなる失敗をやらかしたのか、それを知ることのほうこそ大事で、それを知ってこそ、そのルールを守ろうという根本に行き着くことができる。
が、新しく生まれる世代は、そういう過去の話は「知らんがな」という意識を持ちやすい。若者にとっては「そんな大昔のこと知ってどうすんの?」でしかない。過去のできごとに関心を持つ者は、だいたいは変わり者の扱いを受ける。こういうのが普遍的な「若者の意識」だ。若者は同世代に生み出されるものこそが最も尊い……という信仰に囚われやすい。
だからこそ、2世や3世は無能のボンボンになりやすい。
そもそも、「成功者になる」というのは「運」要素が大きい。おそらくあらゆる成功者は「実力と努力によって勝ち取った」という自身のサクセスストーリーを信じているかと思うが、冷静に考えてほしいが、世の中のあらゆる人は努力しているし、みんななにかしらの実力を持っている。でも資産家にはなれなかった。そこになにか特別な要素があったのか……というと最終的には「運」しかない。
でも成功者は、「運が良かっただけ」と言われるのをもっとも嫌う。「自分は素晴らしい努力をしたから、これだけの成果を得たのだ」……という自分の体内で生成した神話が崩れてしまう。自身が築き上げたものが信じられなくなってしまう。運でしかない成果の上で贅沢暮らしをしている……という後ろめたさに耐えきれなくなる。
(自分は充分な努力をしてきたから、贅沢暮らししていいんだ……という口実が通じなくなる。主に自分に対して)
実際、そういう不安を抱える成功者は世の中にいるらしく、こういう不安を「詐欺師症候群」と呼ぶ。
そういう運で得たものに過ぎない仕事を継承しても、まずうまく行かない。なぜ成功したのかわからないから、再現できないからだ。するとどうやっても3代目で崩壊する。
もしも息子や娘がボンクラではなく、真面目に真面目に仕事を引き継ごうとしても、所詮は運で勝ち上がったものでしかないから、どうあがいても崩壊してしまう。「ハングリー精神」が、とか無関係に、無理なものは無理。
(だいたいビル・ゲイツのような富豪は「時代の運」によって勝ち上がれた……という要素が大きい。今の時代に、ビル・ゲイツがやったように真新しいOSを開発して、発表しても、世の中が受け入れてくれるか? それは無理。ビル・ゲイツの成功は、ただの「運」でしかない。運要素で勝ち上がった人のサクセスストーリーをいくら教科書にしても、何も身につかない)
ではあらゆる会社は潰してしまったほうがいいのか? それが運命なのか? リベラルな人々が言うように、「世襲」は悪なのか?
しかしそういうわけではなく、例えばここ日本には、古くから継承され続けている企業がある。
Wikipediaに「日本の老舗一覧」というものを見つけたのでピックアップすると……
金剛組 578年創業
池坊華道会 587年創業
西山温泉慶雲館 705年創業
古まん 717年創業
善吾楼(法師) 718年創業
まず「創業1000年企業」グループ。1000年って……。飛鳥時代とか平安時代じゃないか。日本最古どころか、世界最古の老舗なんだそうだ。
他にもピックアップしておこう。
ヒガシマル醤油 天正年間(1573年 - 1593年)
キッコーマン 1661年創業
ミツカン 1804年創業
マルコメ 1854年創業
カゴメ 1899年創業
キユーピー 1919年創業
キリンビール 1870年
サッポロビール 1876年
吉本興業 1912年創業
なかなか長大なリストだったので、その中でもみんな知っているよね……という企業をピックアップしてみた。リストの中に見つからなかったけど、任天堂も大正創業だから、長寿企業の一つに加えていいはず。こういうリストに出てこないけれども、歌舞伎のような芸能一座に生まれたら、幼い頃から芸を仕込まれて、大人になると家業を継承するわけだから、ある意味で長寿企業の一つに加えていいかもしれない。
日本の歴史って凄いよね……。
「あらゆる会社は3代目で潰れるんだ」
……世の中には知ったふうな口ぶりでこう言う人は一杯いるが、現実には創業数百年という企業は世の中一杯ある。日本だけでもこれだけあるし、世界にも絶対に一杯あるはずだ。
こういう数百年存続している企業の中も様々でしょう。経営者をどんどん優秀な人に変え続けている……というところもあれば、歌舞伎一座のように一子相伝という感じで一族経営しているところもあるでしょう。そうやって存続し続けてきた……という歴史を見ると、「資産を子供に明け渡す世襲は悪」とは決して言い切れない(いや、誰も「悪」とまでは言ってないけどさ)。
継承することで、その地域から発信する味や技というものが継承される。さらに地域そのものが、その企業を中心に育っていく。これだけの老舗企業があると、その生活を支える人々も当然潤っていく。それが100年、200年という期間受け継がれ続けると、やがてその街そのものの特色になる。それが観光事業に繋がる場合もある。
例えばの話、世界で採掘されるダイヤの9割はインドのある街に運ばれて、そこで加工される。インド西部、グジャラート州のスーラトだ。
ここでダイヤ加工をしている中心的会社であるFinestar Jewellery & Diamondsは1995年創業以来、一族経営なんだそうだ。
では潤ったのはその一族だけなのか……というとそんなわけはなく、周辺の住人が雇用され、飲食店や衣料店といった商店を巻き込み、スーラトは今や「ダイヤ加工の街」となっている。
私の想像だが、ダイヤの加工技術というのはものすごいテクノロジー……というものではないんだろう。私たちでも学べば習得は可能なのではないか。「より多くの人にダイヤを手に入れてもらうために、技術を世に開放する」というのではなく、意図的に門外不出技術にして、自分の企業を守ると同時に、街の経済も守っている。あらゆるものを「解放」し、競争することが正義……というグローバリストが聞いたら発狂しそうな話だ。
でかい老舗企業があって、その看板を守れば、やがて土地と結びついて、その街の特色そのものとなる。スーラトはその一例だ。
今回のテーマは、子供に資産や、親の事業を継承させるかどうか……だが、子供に継承させた方が手っ取り早く確実……ともいえる。自分の代で引退させるわけにはいかない、仕事を誰かに継承させたい……という時、一番身近で親の仕事を見て育った子供に継承させることが一番近道ということもあり得る。そういう子供は、子供時代から親の仕事場に出入りしているし、仕事仲間とコミュニケーションをしているということもあるから、そこでの「しきたり」も理解しているし、そのぶん早く継承できる。親の仕事を手伝っていた……という子供はより継承は早く、確実になる。
これが外部から、ただ優秀なだけの人を引っ張ってきても、なかなかうまくいくものではない。むしろ長年築いた「和」を破壊する場合だってある(優秀な人間は、そこにいる人々が長年築いたしきたりも、「合理的に考えて無駄」と軽視する傾向にある)。
きちんと継承するような体制ができているなら、むしろ子供に継承させた方が、安定的に企業は2代目、3代目……と繋げることができる。もちろん、事業が運によって爆発的に儲けてしまった……というものでない場合に限る。
芸能一座の子供として生まれると、ごく幼い頃から芸を仕込まれる。継承を目的としたエリート教育だ。こういう教育があるから、芸能一座は何代も続く芸能一族になり得る。他人の子に、こういう教育を施すわけにはいかない。やっぱり子供に幼い頃からエリート教育を施し、世襲させたほうが確実だと言える。
私たちは、時代的な思考法(思考クセ)ともいえるが、「世襲」というものを異常なほど嫌う。世襲は絶対に駄目だ。世襲なんかやったら、伝統は崩壊する。2代目や3代目なんてどうせボンクラに決まっているんだから、そんなやつに仕事が務まるものか。世襲が当たり前になると、お金持ちの家庭に生まれなかった人にチャンスが生まれない、不公平だ。なんだかわからないが、世襲はモラルの観点から駄目とみんなが言っている……。
とにかくも、ある種、異常ともいえるレベルで「世襲」というものを忌み嫌っている。しかし技術やしきたりを継承させるという場合、実は世襲がもっとも確実な手法だ。伝統を100年、200年といったものにしようとしたとき、世襲以上に確実な方法はない。
それに、その技術をまったく学ばないまま大人になった誰かを外から招いて、0から技術を学んでもらう……というのはあまりにも迂遠。大人になってからの技術の習熟は時間がかかるし、才能が必要な場合、その才能が発現しなかったら? 最悪の場合、技術と伝統の継承に失敗する。
そう考えると、やはり世襲のほうが確実な継承方法だといえる。
この世襲を、モラルの観点から悪……としちゃった現代の私たちはなにか間違えているのかも知れない。
今回の話で、「子供に資産も事業を継承させるつもりのない成功者」の話を聞いて考えたのが、こういう人たちは地域の話とか眼中になく、自分が育てた企業しか考えてないんだろうな……。自分とその企業だけ、という視野の広さしか持っていない。
「産業」というものは、「土地」に根付くものなのだ。土地が産業を育て、やがて地域の文化として根付き、土地を育てていく。決して「自分」と「企業」という1対1のものではない。
いや、資産をどう扱うかは個人の自由だから、好きにすればいいんだけどさ。それに資産家のみんなが同じように思っているわけでもないし。
話は意外と複雑なんだ。
莫大すぎる資産は、いったん解放した方がいい。そのほうが多くの人にチャンスが訪れる可能性が高くなる。
それに、現代という難しい時代で一代で資産を築き上げた……なんて話は所詮運でしかなく、そんなものは子に継承したってうまくいくわけがない。そういう自覚があるなら、資産と事業は子供ではなく、別の誰かに委ねた方がいい。
一方で、せっかく作った大きな企業を、安定的に継承させるチャンスを放棄している。世襲で子に継承した方が、むしろ安定的に、「数百年の企業」に育てることができる。それくらい歴史の長い企業は、やがて地域と結びつき、景観そのものを作っていくことになるけれど、現代の成功者は間違いなくそういうことに興味を持っていない。
もしかすると、成功者たちは、自分たちの運要素を過小評価しているのではないか。誰だって努力さえすれば自分のようになれる! 生まれの資産や運など関係ない! 我が子だって同じだ! ……自分が歩んできたサクセスストーリーを信じすぎるがゆえに、子供から資産を取り上げても、努力さえすれば自分と同じだけの成功者になれるはずだ……それは別の視点から言うと、世の中舐めている。お前の成功は所詮、運だよ……成功者達はその意見に目をそらし続ける。
資産家たちは、自分の資産を死後はボランティア団体に寄付する……と宣言していて、一見するとそれは正しいことのように思えるが、しかしそのボランティア団体がまっとうなことに金を使うとは限らない。
(特にビル・ゲイツのボランティア団体は怪しい。ボランティアの仮面をかぶって、発展途上国をただの実験場にしている疑いが強い。日本のテレビ局がやっているチャリティー番組になると、使途不明で、大部分は出演者とスタッフに回っているのでは……とも囁かれている。ボランティアで集金したお金で豪邸住まい……というのではない、きちんとした団体を選別せねばならないが、それが難しい)
ボランティア団体への寄付は、死後のお金の使い方を、他人任せで責任放棄している……という見方もできる。
なにに使われるか曖昧なところに出すくらいなら、地元に徹底する。昔、セメント事業で資産家に成り上がった麻生太吉という人がいたが、儲けた金を地域振興に投資しまくった。麻生太吉の地元・福岡の道路、鉄道、発電所、病院、学校……といったものの多くは麻生太吉が作り、その恩恵は現代の人も受け続けている(インフラの恩恵はその時でおしまい……ではなく数百年残るもの)。儲けた金で贅沢三昧……ではなく、地域のため、人のために使いまくった。麻生太吉は明治以前の人だが、これがこういう時代の人の感覚だったらしい。ため込んだお金を使わず、自分の死後放流するくらいなら、数百年残り、人々の役に立つものに使えばいいのだが……現代の成功者にはその発想がない。
良い面、悪い面、妥当な面、微妙な面……今回の話はいろんな側面から語ることができる話でもあるのだ。
でも結局のところ、何を決断するかは本人次第だから、他人がどうこう言うものではない。