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11月6日 無知が恥ではなかった時代の話

 ラジオでこんな話を聞いた。

「俺たちよりの世代では、“知らないは恥”だった」


 私たちより一個上の世代ではそんな感じだったんだね。
 私の世代では「知っていることが恥」だった。物事を多く知っている、理解している、なにかしらの技能を持っている……こういうのが嘲りの対象だった。
 で、何も知らない奴が一番偉い。態度もデカい……というのが私の時代。つまり、「バカがバカであることを隠さず、むしろバカをアピールし、よりバカであることがコミュニティの上位になれる条件」だった。言葉をオブラートで包まないとこういう表現になるが、正しいはず。

 「知らないマウント」ってあるでしょ。ネットニュースなんかで、ポッと出の有名人が紹介されると「誰だ? 知らん」という書き込みするやつ。「有名かもしれんけど、俺は知らん。つまりお前はその程度のやつだぞ」……というつもりなんだろう。ある時代から「無知」であることを「攻撃」として使い始めた。
 「知らないマウント」がいつ頃から子供たちの間で使われ始めたか知らないけれど、私の世代ではもうみんなこの意識だった。「無知は恥」でななく、「無知が力」にすり替わっていた。「無知」というか「無関心」を武器にしはじめたって感じかな。それで、バカは攻撃する必要のない相手に攻撃しに行く。知らないんだったら黙ってりゃいいのに、わざわざ「知らん」で意思表明しに行くんだよ、バカは。
 私の世代では知識というものは「みんなと同じものを知っていなければならないもの」で、みんなが共通して知っているものを知らなかったら「知らねぇのかよ、だっせー!」で、みんなが知らないものを知っていたら「なんでそんなこと知ってるんだよ! キモい!」という意識だった。つまり、みんなで知識を共有して、みんなで同じことを考えましょう……と。知識も考え方も横並びでないと不安で不安で仕方なかった……というのが多数派の意識だった。

 消費主義の時代を通して、自分から何か考えたり、生産したりしなくても、誰かが作って与えてくれる……そんな受け身人生でも困らなくなった。そこから進んで、誰かが作った波に乗らないと不安、みんな一緒でないと不安、そこから外れている人を見かけると、スケープゴートとして叩く。そうやって安心を得る。
 作るのは自分ではなく「誰か」。誰かが与えてくれるから、自分からは決して何もしない。要するに、「ただの消費者」になる。ただ消費するだけの動物……それがある世代の正体でもある。
 そうやって誰かから与えられるだけで、自分から何も行動しないし考えない……「知っていることが恥」意識の人達って、そのまんま大人になっちゃってたらヤバいだろうなぁ……。まあ私は学生時代の友人は一人もいないので、彼らがどんな大人になったのか知らないけど。
 本当にあのまま大人になっていたら、ロボットのようなオジさんオバサンになってることだろうなぁ……。「いらない世代」と言われても、まあそうだろうね、としか言いようがない。どんだけ学力が高かろうが、「ただの消費者」でしかない人材は要らない。

 今はまた若い世代が知ることに対する純粋な好奇心を持つようになってきているから、「知らないは恥」という意識が戻ってくるかも知れない。というか「知っていることは恥」の意識は「格好悪い」みたいな感覚になればいいのにねぇ。


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