小学1年生。
この春、都内の私立小学校に入学した娘。
私の中で私立小学校というと、英才教育は当たり前でお勉強に熱心というイメージがあったのですが、娘の学校は全くそういった校風ではなく、「教科書のない学校」というキャッチコピーもあるくらい一般的な学校とは異なる教育方針です。
以前の私ならば、きっと選択肢になかったであろう学校。しかし、出産育児というイベントは自分を大きく変えてくれるようで、昔の私が価値していた「普通、常識」という幻想(もちろん無意識に、ですけどね。)に少しずつ気づいていくにつれ、教育に対する想いも変化していきました。
学校についても今後少しずつ書いていきたいと思いますが、今日は、ちょっと感動したことがあったので記録的に。
学校までは、バスと電車で通っていますが、慣れるまで毎日登下校の付き添いをしています。
今日は朝、最寄駅に着いたら、娘に話しかけてくれる女の子がいました。
「何年生?」
「1年生。」と応える娘。
その子は5年生だそうで、娘に「一緒に学校まで行こうか!」と誘ってくれたのでした。私はその優しさに感動し、今日は最寄駅で見送ることにしました。
娘の学校では、「学校は子どもが中心」という風にいつも言っていて、入学式前の体育館や1年生の教室など、必要な準備は全て上級生が中心になって進めてくれるそうです。入学式後も上級生が毎日1年生の教室に来て、色々なお手伝いをしてくれるそう。
入学式の時も感じていましたが、子どもが中心にあるとはこういうことなんだなって。
以前から色々な学校の話を聞いたり見たりして、行事が子どものものではなく、大人のものになっていることに「やらされ感」を感じて違和感がありました。
「本当に子どもがやりたいと思っているのだろうか?」と。
私は、人は「主体的に生きている。」と思える時に幸せを感じられるし、生きる力が湧いてくると思っています。
学校生活で、子どもが中心。という大人側の日々の意識が、子どもの主体性を伸ばし、今日話しかけてくれた女の子も自ら進んで、親の私と一緒にいる娘に話しかけようと思う自然な行動に繋がったのではないかなと。
そしてきっと、その子も1年生の時に上級生からたくさん優しくしてもらったんだろうなって。
人は、自分がされて来たことを自然と人にもするようになるものです。
そんな愛のバトンリレーがこの学校には、当たり前に存在することを今日は感じられてとても嬉しく思いました。