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他人のせいにしていい?
例えば、信号無視の車にはねられたら、あなたはどう思うでしょう。
「そんなの、信号無視したドライバーが悪いに決まっている」
そうですよね。信号を守るのは法で定められたルールですから。でももし、猛スピードの車が迫っているのに「こっちは青信号だ」「歩行者優先だ」と無理に横断してはねられたとしたら。それは判断ミスなのかもしれません。ルールはあなたを守ってくれるとは限らないし、自分を守れるのは、結局、自分自身なのですから。
「他人のせいにするな」と言う人がいます。自分が責任から逃れるため、あるいは責任転嫁する人を非難するため、いろんなケースがあるでしょう。ただ、この言葉を使う人で、人間的に成熟した立派だと思える人には、まだ会ったことがありません。逆に、少しでも自分に非があるなら、それを素直に認められる。そういう人にこそ人格者は多いような気がします。
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他人のせいにするのは簡単。でもスライムを倒しても、なかなかレベルは上がらないように、簡単なことから得られるものはやっぱり少ないのです。レベルが上がらないと、毎回同じような敵に倒されてしまいます。だから、自身の成長のためには、「自分に問題はなかったか」と点検する。そういう自己批判の精神も必要なんだと思います。
ただ、なんでも自分のせいにする必要はありません。人間、自分で選べることなんてほとんどないのですから。例えば、子どもの頃から要領がよく、勉強も運動もできて、容姿もいい。家は裕福で、最高の教育を受けた人が、「自分の努力で成功しました!」なんて言っても、しらけちゃいますよね。与えられたもの、持っているものの差は大きい。そして人間は、根本的にはわかり合えないもの。
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だからと言って、すべてを悲観することはないと思います。スヌーピーは「配られたカードで勝負するっきゃないのさ」と言いました。それは何も、あきらめの言葉ではなく、いま持っているもので、できることをやろうよ。そういう意味だと思います。
人生は思いどおりにならないことも多いけれど。そんなときもあるよね、明日は明日の風が吹くさ、なんてうそぶきながら。好きなようにやれたら。そう思うのです。どうせゴールは決まっているのですから。
無性にカップ焼きそばが食べたくなり、それこそ数年ぶりに作ったのに、湯切りに失敗してシンクにぶちまけました。まるで世界が止まったような、永遠かと思える一瞬に、この記事を考えました。
カップ焼きそばをこぼしたのは、自分のせいです。
撮影ワールド:追憶の庭園 - Garden Of Nostalgia -/tiwa さん