湯けむり温泉殺人事件 中編1

「うう……頭が……痛い」
 部屋の中央で置物のようになっていた彼が頭をあげる。死んでいなかったようだ。生きていて本当によかった。旅行先で知り合いの死に出会ったら、しばらく立ち直れないだろう。
 辺りを見渡すが、ゆっきさんの姿はない。彼が外へ出たなら悲鳴が起こるはずだが、そのような声は聞こえない。
 電話をかけてみる。彼が電話にでることはない。あのような場面に出くわしたからだろうか。嫌な予感がする。きっと、気にしすぎだろう。
 不安は消えない。
 その場を離れ、部屋へ向かう。太陽はもう上へのぼり、影が短くなった。
 ノックをして呼び掛ける。返事はない。もう一度ノックする。物音ひとつしない。
 仕方がないので、管理人のもとへ向かう。ただの気にしすぎであってほしい。
 halpikaさんの部屋では、二人が談笑していた。警察官はおらず、先程の名残は感じられない。 おそらく、事件性はなかったのだろう。
 ゆっきさんの部屋へ着いた。管理人さんと二人でここへ来たはずだが、その記憶は不安に呑み込まれ、もうない。
 扉が空いた。ゆっきさんはまだベットに横になっている。こちらに気づいたようすはない。
 散らかった荷物に気をつけてながら近づく。気づいたようすはない。
「ゆっきさん。起きてください。もう朝はすぎましたよ」
 気づいたようすはない。もう一度呼び掛ける。気づいたようすはない。
 ベットの真横に立つ。それでもゆっきさんは気づかない。口元に耳を近づけてみる。
 風の音は一切しなかった。
 タオルケットは先程から動いていない。嫌な予感が音をたて、急激に近づいてくる。
 胴を掴み、つよくゆする。
「ゆっきさん!起きてください。朝です。朝はすぎました。昼です。昼なんです。起きてください。今日の予定はどうするんですか。一緒に散歩しながら巡ろうって言いましたよね。海へ行きたいって言ってましたよね。起きてください。起きてください」
 きっと深く眠っているだけだろう。移動で疲れたから眠ているだけだろう。死んでいるわけがない。そんなことを考えるのはさっきの出来事のせいだ。そうだ。そうだよ。ゆっきさんは生きている。ほら、今笑った。いや、笑ってない?違う。喋ったんだ。いや、しゃべってない?ゆっきさんは、生きている?死んでいる?
「やめてください。そんなに激しく揺すったら彼に悪い影響が出ます」
 管理人さんが私の肩を掴み、首を振っている。
「警察はよびました。今はただ、待ちましょう」
 ゆっきさんが気づいたようすはない。