湯けむり温泉殺人事件 まとめ
とあるカフェで二人の男が向き合っている。柔和な表情を浮かべた紳士然とした男と、髪が後退した半裸の男だ。
「旅行、どこに行きましょうか」
「一緒に風呂に入らないか?」
「いいですね。たしかhalpikaさんが熱海に出張してました。そこにしましょう」
「ホテルはどこにするんだ」
「ここなんかどうでしょう」
服を着た男がスマホの画面を見せる。旅館からの眺めが写されている。桜と、川と、鳥居だ。
「俺は寝れるならどこでもいいぜ」
「では、ここにしましょう」
二人は立ち上がり、連れだってレジへ向かう。その後ろ姿には、長年連れ添った夫婦のような趣があった。
その光景を一人の少年が見ていた。Monsterを握りしめる右手は、小刻みに震えている。彼のスマホには二人の男が見た画像と同一のものが表示されている。
軽い音が店内に響く。彼は缶を床に叩きつけた。彼はわなわなと震えている。
店員が近づき、それを拾う。
「お客様。飲食物の持ち込みは困ります」
「あ……すみません」
海岸線に沿って、何者かが疾走している。馬のようでもあり、人のようでもある。不思議な生き物。それは夕日を見、嘶いた。ひひーん、ネーイ、today's pepsiと、高く高く嘶いた。
「早く帰らなければ。誰かが私のことを話しているかもしれないのに、電池を切らしてしまうなんて。やれやれ、マスコットも楽じゃないな」
彼は走った。自身の最高速でひたすら走った。どこまでも、どこまでも。
一人の少女と猫が楽しく遊んでいる。
「HARU~ DAISUKIDAISUKI」
猫が少女の胸にとびこみ、頬をこすりつける。
「HARU, I wanna travel to JAPAN. What do you think about it?」
猫は構わずに甘え続けている。
「what? Are you hungry?」
猫が上目遣いに少女を見上げる。
「oh. Take me a minute. I'll prepare the dinner soon.」
少女は台所へ小走りでむかう。
「What the fuck!? There is no cat food. oh god.」
闇のなかに二つの眼球が浮いている
「くそ、くそ。どこだ……どうすれば……」
その目には白い部分がなく、真っ赤だ。
「最後の一つ。これでトロコンなんだ。これでやっとトゥルーエンドが見れるはずなんだ……」
そのまわりには幾本ものエナジードリンクが転がっている。
「あと一つ、シークレットトロフィーをゲットすればトゥルーエンドなんだ。どこだ?俺はなにをしてない?」
「まさか……冷蔵庫女?」
「もうすぐ72時間。誰か俺を救ってくれ」
朝がきた。外は綺麗に晴れ渡っている。結局、トロコンはできなかった。気分を切り替え、朝食を食べる。三徹がたたって、戻してしまう。最悪な朝だ。天気なんて関係ない。史上最悪な朝だ。
今日は久しぶりに外にでて、リフレッシュをしよう。そう考えても体に力がまったく入らない。結局、三時間ほど寝ることにした。
視界がまわり、耳鳴りがする。三時間の睡眠では余計にひどくなるようだ。それでもなんとか体を起こす。しばらく待てば歩けるようになる。顔をあらい、髪をととのえ、歯をみがき、身支度をすませる。
「いってきます」
今日は特別往来が賑やかだ。久しぶりなせいでそう感じるのかもしれない。でも、ここ熱海には夏休みに多くの観光客がおとずれる。やはり、人はふだんより多いのだろう。
なんてったって、道を半裸の男が歩いている。あんなやつ、普段はいない。おそらく観光客だろう。それに、探偵ごっこをしている少年もいる。道行くひとにお金を配るひともいる。こんな異常事態が長期休み以外に起きる訳がない。
この道の先には老舗温泉旅館、素倶留がある。明治時代からあるらしく、この街に深く関わっている。眺望がよく、温泉も素晴らしいので時々芸能人がお忍びでくるらしい。見たことはないが。
ここでゆったりするのもいいかもしれない。
内装は老舗旅館にしてはひどく現代的だった。カウンターは歴史が感じられないほど綺麗で新しかった。ところどころにある太い木の柱をみて老舗旅館だとようやく思い出す。
それぞれの部屋は広く、伸び伸びとすることができた。寝っ転がっていると眠くなり、風呂に行くことにした。
浴槽はさまざまな種類があった。10種類ほどあっただろうか。よく覚えていない。入浴中に日本酒が呑めるというので、沢山のんだことは覚えている。ふろで熱燗を呑むのは初めてだったが、喉を熱が通り、体の中から外から温められ心地よかった。
浴場をでたのは20:00と早い時間だったがそのあとはそのまま寝た。
朝からなにやら騒がしい。窓から外を見ると、数台のパトカーが止まっていた。
なにが起きたのか気になり、廊下にでる。階段を下ると、特別賑やかな階があった。
そこには幾人もの野次馬がいた。人を掻き分けすすんだ。ドアが開いている。
その部屋のなかには、赤黒い液体のなかに頭を浮かべた馬頭の人が倒れていた。
「離れてください!離れてください!」
恰幅のいい警察官が野次馬を必死に離そうとしている。
「やきおじ警部、どうしますか」
「まず野次馬を遠ざけよう、nyancatくん。鑑識作業はそのあとだ」
作務衣姿の女性が手をあげる
「あ、あの! 救急車よんだほうがいいでしょうか」
「いや、もう呼んである。そんなことは気にしなくていいから、早く離れなさい」
しかし、作務衣はおろおろするばかりで動こうとしない。俺も含め、皆が混乱している。そりゃそうだ。殺人現場に出くわしたんだから。そんなものに慣れている人なんて、警察官くらいだろう。
そこへ、場違いに明るいこえが届く。
「Hi, guys. Anything wrong?」
声の届け主は銀髪をなびかせ、気負わずにこちらへ歩み寄ってくる。
「Could it be that there was a case? If you're on the case, let me handle it.」
彼女の登場により、場が静まりかえる。
「あ、あなたは!イギリスで人気上昇中、どんな難事件もぱぱっと解決する女子高生探偵veiさん!?」
「おい、なぜ説明っぽい口調で話しているんだ、nyancatくん」
「今の雰囲気に合うと思って」
「まったく……君は相変わらず変わっているな」
veiがいた。トロコンを目指して徹夜するまえ、画面の向こうにいた彼女がここにいることに困惑する。
なぜここにいるのか、なぜシャーロックホームズがかぶるような鹿撃ち帽をしているのか、なぜバーチャルの姿なのか。疑問が浮いては張り付き、二日酔いの頭が弾けそうになる。
「イギリスで人気だろうが、事件の捜査は我々警察の仕事だ。vei……だったか?きみがすることはない」
「英語で言わないと伝わらないですよ、警部」
「では、通訳してもらえるか」
「……翻訳機、使いますか」
警察官たちが文面を考え、翻訳し始める。ここにveiがいるのなら、もしかするとあの馬頭は彼なのかもしれない。いやしかし、そんな偶然は……第一、あれは死んでいるし……
「We are police officers. The investigation of the case is the job of the police. Go amateur somewhere」
翻訳機から音声が流れる。
「hmm……. It is true that I am an amateur, not a police officer. But he could be an acquaintance of mine. Allow me to participate in a murder investigation, if only for a moment.」
veiは慎重に言葉を選びながら語りかける。
「彼女はなんと言っているんだ」
「わかりません。Please speak more slowly.」
「More slowly? I spoke slowly, didn't I? 」
「あー そーりー。あい あむ のっとぐっと あっといんぐりっしゅ 」
「発音酷いですね」
「だまれ」
veiがスマホを取り出し、翻訳して伝える。幾度かやり取りの後、意志疎通ができたようだ。
「しかしだな。被害者が知人かもしれないというだけで探偵を事件に関わらせるのはなぁ」
「おや、探偵になにか怨みでもあるのですか」
「怨みはないがな、探偵の推理を論理的に検証すると飛躍だらけなんだ」
「そうなんですか」
「ホームズのなかでもましな方な例をとろう。スリッパの焦げあとからワトスンの風を推理したときだ」
先程から、現実感がない。夢のなかにいるようだ。いや、これは夢に違いない。veiがバーチャルの姿でここにいるわけが無いし、halpikaさんが目の前で死んでいるわけが無い。そうだ。きっと酒を飲み過ぎたせいで、うなされているんだ。きっとそうに違いない。
話し合いの末、絶対に何にも触らないこと、短時間で出ていくことを条件にveiは部屋へ入れることになった。警部はずっと渋っていたが、nyancatと呼ばれた人が押しきった。
veiが部屋へ入る。中央の馬頭に近づき、しゃがむ。馬頭は動かない。
「入れなくても良かっただろう」
「謎が解けるかもしれませんよ」
「この事件に謎なんてないだろう。凶器はおそらくそこに転がっているガラス瓶、犯人はカメラの映像を見ればわかる」
そこへ若い警察官が近寄る。
「警部。そのことなのですが、昨日被害者が部屋へ入ったあとこの部屋に近づいた者はいませんでした」
「それは本当か」
「ほら警部。彼女を関わらせて正解でしょう。難事件の出来上がりですよ」
「しかし、先程も話したが推理というものは当てにならんぞ」
「我々が犯人の目星をつけるのも推理によってでしょう」
「それはそうだが」
veiの目元が光る。彼女はゆっくりと手を口元にやり、離す。
広い部屋のなかにさびしく音がこだまする。
彼女は強く強く前を見、決意をかためた。
現場を調べようとした、そのとき
「うう……頭が……痛い」
その場にいた全員がそれに注目する。
「あ、あの今……声がしませんでしたか」
作務衣姿の女性が問いかけるが、誰も答えない。
馬頭が体を起こす。
「液体?なんだ……これ」
警部が部屋へ入り、彼の目の前に立つ。
「君、体の調子はどうだ。怪我はないか」
「いえ、なんとも。それよりも……この状況を説明してもらえますか」
「そうだな。まず、私たちは警察官だ。そこのお嬢ちゃんは探偵。君の部屋から不審な物音がして、確かめに来た管理人が、血を流して倒れているのを発見し、通報したんだ。昨日何があったかゆっくりでいいから話してくれ」
「昨日……昨日は仕事を終えここに帰り、どうしたんだ。そうだ、麻雀部の皆と徹マンしたんだ。そうして……たしか罰ゲームでワインのラッパ飲みを……」
「ラッパ飲みだと?おい、nyancatくん。これを調べてくれ」
nyancatが屈み、手であおぐようにして匂いを嗅ぐ。
「詳しい分析は後になりますが、匂いからしてワインで間違いないでしょう」
警部が体のなかにあるものを全て吐き出すようなため息をつき、肩を落とす。
「いや、彼が無事なのはいいんだが、あの話し合いは、徒労だったのか」
「まあまあ、英語の勉強になったと思って」
veiはしばらくの間呆然としていたが、突然弾かれたように抱きつく。安堵のためか、かなりの力で抱き締めている。halpikaは少し苦しそうにしていたが、全く抵抗しない。
「oh, halpika. I thought you were dead, but you're alive. Well, that's good.」
「I am living.」
「Yep, You're living.」
veiは肩に手をのせたまま、彼を見つめる。
「halpika, please pepsi.」
「oh…… ok, today's pepsi」
「うう……頭が……痛い」
部屋の中央で置物のようになっていた彼が頭をあげる。死んでいなかったようだ。生きていて本当によかった。旅行先で知り合いの死に出会ったら、しばらく立ち直れないだろう。
辺りを見渡すが、ゆっきさんの姿はない。彼が外へ出たなら悲鳴が起こるはずだが、そのような声は聞こえない。
電話をかけてみる。彼が電話にでることはない。あのような場面に出くわしたからだろうか。嫌な予感がする。きっと、気にしすぎだろう。
不安は消えない。
その場を離れ、部屋へ向かう。太陽はもう上へのぼり、影が短くなった。
ノックをして呼び掛ける。返事はない。もう一度ノックする。物音ひとつしない。
仕方がないので、管理人のもとへ向かう。ただの気にしすぎであってほしい。
halpikaさんの部屋では、二人が談笑していた。警察官はおらず、先程の名残は感じられない。 おそらく、事件性はなかったのだろう。
ゆっきさんの部屋へ着いた。管理人さんと二人でここへ来たはずだが、その記憶は不安に呑み込まれ、もうない。
扉が空いた。ゆっきさんはまだベットに横になっている。こちらに気づいたようすはない。
散らかった荷物に気をつけてながら近づく。気づいたようすはない。
「ゆっきさん。起きてください。もう朝はすぎましたよ」
気づいたようすはない。もう一度呼び掛ける。気づいたようすはない。
ベットの真横に立つ。それでもゆっきさんは気づかない。口元に耳を近づけてみる。
風の音は一切しなかった。
タオルケットは先程から動いていない。嫌な予感が音をたて、急激に近づいてくる。
胴を掴み、つよくゆする。
「ゆっきさん!起きてください。朝です。朝はすぎました。昼です。昼なんです。起きてください。今日の予定はどうするんですか。一緒に散歩しながら巡ろうって言いましたよね。海へ行きたいって言ってましたよね。起きてください。起きてください」
きっと深く眠っているだけだろう。移動で疲れたから眠ているだけだろう。死んでいるわけがない。そんなことを考えるのはさっきの出来事のせいだ。そうだ。そうだよ。ゆっきさんは生きている。ほら、今笑った。いや、笑ってない?違う。喋ったんだ。いや、しゃべってない?ゆっきさんは、生きている?死んでいる?
「やめてください。そんなに激しく揺すったら彼に悪い影響が出ます」
管理人さんが私の肩を掴み、首を振っている。
「警察はよびました。今はただ、待ちましょう」
ゆっきさんが気づいたようすはない。
十数分後、先程の警察官たちがやってきた。警部は露骨に口角が下がっている。
「まったく……今度は何が起きたんですか。また麻雀事件ですか」
「いえ。こちらを見ていただければわかるかと」
警察官が数人部屋へ入る。彼らはベットの横に並び、警部は顔を、nyancatはタオルケットを剥がし胴体を観察した。
「ただ眠っているように見えますが……まさか、死んでいるのですか」
「はい、おそらく。発見してからずっと胸も肺も動いていません」
「なるほど。ところで、彼は綺麗好きでしたか」
警部が部屋の散らかっている様子を見やり、問いかける。
「あまり物の配置にはこだわっていなかったと思います。おそらくですが、荷物が散らかっているのは元々かと」
「そうですか。nyancatくん。目立った外傷はあるかね」
「とても綺麗ですね。古傷さえありません。病死の可能性も視野に入れるべきかと」
「いえ、そんな。ゆっきさんは健康そのものだったと……思います」
警部が私を優しくみつめる。警部は微笑み、しばらく口を開かない。
「そう思う気持ちはわかります。ただ、最初から可能性を否定して真実を見逃したら、彼が浮かばれないと思いませんか」
部屋にいる人たちが作業を止め、さらに私たちの方を見る。今、ゆっきさんを発見する前のように音が消えている。ただ、流れている空気が違う。
真実を見つけよう。そのために、先入観を排除して話さなければならない。
「なにを、話せばいいですか」
「まずは、そうですね。彼の人となりを」
警部の質問に、なるべく冷静に答えていく。その間警察官たちはあわただしく動いていた。鑑識と思われる人が複数やって来て、何度もフラッシュを焚いた。途中で鑑識の人が二名帰っていった。
「わかりました。確かに彼は健康的で、突然病気になったとは考えにくいですね。昨日、彼におかしな様子はありませんでしたか」
「特にはなにも。普段どうりでした」
「そうですか。では、休んでください。なるべくここに近い場所で」
「このあと、どうされるのですか」
「…………周りの部屋の人に話を聞きます」
ロビーへ降りる。自販機で缶コーヒーを買う。開ける。飲みたいという気持ちは起きてこない。目の前の植物を眺める。缶コーヒーが冷めてゆく。
大分時間が過ぎた。呆けている間ここに人が来ることはなかった。
扉があき、警察官があわてて入ってくる。どうにも気になるので、ついていった。
「警部!被害者のローションから毒が検出されました!」
毒……なんでそんなものが、ゆっきさんのローションに?これは他殺なのか、自殺なのか……。ゆっきさんはなぜ死んだんだ。
「詳しく話せ」
「被害者の持ち物を調べる前に、危険性があるかどうかチェックしたところ、サリンが検出されました」
「サリンだと? それは本当か。おい、みんな早く部屋から出ろ、ドアと窓をしめろ、この場から離れるんだ、今すぐにだ」
警部が緊迫した声をあげる。
「警部、鑑識の話によるとおそらく部屋の中のはもう無害化されているそうです」
「それでもだ。念には念を入れろ。それから応援を呼べ。次の犠牲者が出る前にサリンを見つけ出すんだ」
警察官たちがあわただしく動き出す。避難を指揮する者、応援を呼ぶ者、周囲の荷物を回収する者。ゆっきさんを見たときより警察は素早く行動している。誰かの死よりサリンがここにあるかもしれないという可能性の方が警察にとって重大らしい。誰かの死はありふれたもので、サリンが存在する可能性はそうではないのか。
「ボーッとしていないで、早く避難しましょう。ほら」
いかにも正義感溢れる青年という感じの警察官が私に話しかけてくる。避難した方がいいのだろうが、なんだかここから離れたくない。
それでも警察官に強く促され、彼の言う通りに移動することにした。
広く、換気が良い場所ということで近くの公園へ私たちは避難した。この場には私を含め客が六人、旅館の従業員が複数いる。一人一人呼び出されボディチェックを受けている。規制線が旅館と、この公園のまわりに張り巡らされた。
今度は数人が一度に呼ばれ、かなり長い間警察官と話した。話している間に一人、また一人と従業員とおぼしき人がやって来た。
最初に呼ばれた人たちが戻ってくる。皆一様に浮かない顔をしている。仕切りに電話をする人、おろおろと辺りを見渡す人。明るい人はいない。
また名前が呼ばれていく。私の名前も呼ばれる。呼ばれた方へ向かうと、一緒に避難した警察官だった。
「大丈夫ですか? その……御友人があのような目にあって災難でしたね。この事件は必ずや解決して見せますので、安心してください」
警察官が優しい目で心配そうに話しかけてくる。きっと本当に私を案じてくれているいい人なのだろう。それでも、それでも。どんなに心配してくれても、どんなに優しい言葉をかけられようとも、心は晴れない。
「それで……今こんなことを聞くのは酷だと思いますが、昨日何をされていたのか教えていただけないでしょうか」
ああ、やはり私も疑われるのか。疑われてないとしても、重要参考人として色々ときかれるのだろう。そうしなければ事件は解決しないだろうし、仕方のないことではあるのだろうけど。
「昨日は、まず朝は新幹線に乗っていました。熱海に着いたあとは、二人でぶらぶらと散歩をして、気になった所を巡っていました。それから――」
昨日と今日何をしていたかを大まかに話したあと、詳細な情報を求められた。ローションにサリンが入っていたので、何故持っているのか、どういうときに使っているのか等ローションに関する質問を沢山された。常にローションを持っていて、1日に何度か塗っていると話すと警察官は少し軽蔑した目になった。確かに一般の人には理解し難いだろうけれど、それが彼、ゆっきさんという人なんだ。
ゆっきさんと行動を共にしていたからだろう、私はとても長い間話を聞かれた。私と同じタイミングで呼ばれた人たちが全員話し終えても、その次に呼ばれた人たちが話し終えても私は話し続けた。
私たちは公園の中心へ集められ「安全性が確認できるまで、ここに残ってください」と言われたので、そのまま待機している。始めのうちは、あの人半裸だったから殺されたんじゃない?ほら、セクハラを凄い気にする女の人とかにさ。なんか話が聞こえたんだけどさ、ローション塗って死んだらしいね、なんだか間抜け。などと従業員達が話していたが、しばらくすると話は止み、スマホを弄るようになった。
警察官らは簡単な事情聴取が終わると一ヶ所に集まり話し合った。メモを交互に見せ、情報を共有しているのだろう。
私たちに話が聞こえないように、彼らは公園の端で話している。その側にある低木のなかで、何かが銀色に輝いた気がした。
「話をまとめるぞ。被害者と行動を共にしていた男、ranranの話では被害者は12時すぎに旅館に入り、13時ごろローションを一度塗った。19時に風呂に入りその後ローションを塗り直したらしい。鑑識はローションのサリンの濃度から考えると全身に塗ってから4時間もすれば死ぬと言っていた。あの男の話が本当ならば、13時から19時の間ずっとアリバイがある者は犯人の可能が少なくなるだろう。アリバイがある者はいたか」
数人の警察官たちが確認しあう。その中の一名が前へ出て口をひらく。
「従業員らにはずっとアリバイがある者はいません。そもそも、範囲が広すぎます。これでは絞れません」
「まあ、簡易的に情報を整理しているだけだ。真剣に議論しようとしなくていい」
「客のなかには三名ほど、アリバイがある者がいました。うち二名は仕事、一名は遊びに出ていたそうです」
「仕事なら裏が簡単にとれるな。遊びに出ていたやつはどこへいったんだ」
「近くの遊園地だそうです」
「そうか。残りはアリバイがないんだな」
尋ねられた警官が手帳を確認し、頷く。
「次に、動機があるかどうか確認する。被害者と面識があった奴はいたか」
今度は誰も口を開かない。手帳を見ることもなく、黙っている。
「旅行でここに来たらしいからな、動機どころか面識がない奴がほとんどだろう。被害者とranranの関係はわかるか」
若い警察官が手帳をめくり、簡単なもので、私もあまりよく理解してはいないのですが、と前置きして話しだす。
「被害者とranranはdiscordというSNSで知り合ったそうです。discordは掲示板に似たような仕組みらしく、そこで独自のコミュニティが形成されています。被害者はそこでは“ゆっき”と名乗っていて、veibaeという配信者のコミュニティに属していました。そこで二人は仲良くなったと言っていました」
「SNSで知り合った人と旅行に来ただと、なんだか怪しいな。本当は地元の友人だったりするんじゃないのか」
「SNSで知り合ったひとと会うことは今ではおかしなことではないですよ。それに、そのコミュニティはかなりオープンな人が多いらしいので、親近感もわきやすいのでしょう」
「そうか、そういうこともあるのか……。SNSでの繋がりか、その線も調べるべきだな。よし、全員にdiscordについて聞いてまわるぞ」
警察官たちが目線を送りあい、公園中央へ向かって走り出す。バレないように、マイクを回収しないと。
地面においたマイクだから全ての会話が聞こえたわけではないけれど、大体の内容はわかった。あと怖いのは翻訳ミス……けれど、それは仕方がないわ。そんな心配はせずに、彼らのほうを見なきゃ。表情も重要な情報になるわ。
警察官たちは散らばって聞き込みしている。一度に全員を見るのは難しそうね。とりあえず、右から見ていきましょう。
一番右で話を聞かれているのは……halpika! このクソファッキンホットなサマーに外で馬の被り物をしているわ。WTF! なんなのかしら。halpikaは暑さを感じないのかな? それとも日本人はみんな暑さに強いのかしら。それにしても、あの被り物をしているんじゃあ、表情はわからないわね。誰が馬の表情を読めるのかしら。競馬狂いなら読めるのかもしれないわね。
次の人をみましょ。halpikaのとなりは……oh,kawaii! 豚がプリントされた服を着ているわ。背中は、ここからだとよく見えないけれど、豚のお尻がプリントされているのかしら。可愛い。彼、かなり慌てているわね。いちおう要注意人物としてマークしておきましょう。まあ、警察官の前であんなに慌てる犯人は極度のびびりか凄く肝がすわっている人だけよ。だから、おそらく彼は犯人じゃないわ。
かなり、怪しい人がいるわ。警察官に話を聞かれているというのに、片手に缶ビールを持っている。その後ろに缶ビールが転がっているし。たとえ神だとしても自分には敵わないという絶対の自信があるのかしら。正気じゃないわ。彼を選んでしまった警察官は可哀想ね。哀れ。酔っぱらいからはまともな話が聞けないだろうし、口がアルコール臭いでしょうから。待って、何故彼はずっとビールを手放さないのかしら。余裕があるから持っているわけではなく、余裕がないからもっている……アルコールに頼らないといけないほどのストレス。彼も要注意人物ね。
あとは、さっきからずっと首を振っている少年。この少年も缶をもっているわ。缶を持つのが日本人のブームなのかな。持っているのはMonsterのようね。アルコール男とカフェイン少年。二人を混ぜたらどんな反応が起きるかしら。否定が強すぎるのが気になるわ。彼も要注意人物にしましょう……私halpika以外全員要注意人物にしている気がするわ。
作務衣姿の女性。かわいらし……腕が異様に太いわ。ゴジラの尻尾の先端くらい腕が太いわ。ボディビルダーなのかしら、女性のボディビルダーを見るのは初めてだわ。あぁ、何て日本は面白いのかしら。情報収集なのに楽しくなってきちゃったわ。
情報は集まって来たけれど、警察官たちが話し合っていた人は彼らの誰なのかわからないわ。どうしましょう。なにか、手はないかしら。そうね……警察の知り合いがいれば便利……たしか、さっき警部の隣にいて、翻訳をしていた彼から連絡先を渡されたわね。捨てようと思っていたけれど、使えそうね。
なんとか押しきって情報を得ることができたわ。アリバイがある客はhalpika, 豚のプリントされた人、エナドリ少年だったわ。halpikaにアリバイがあるのはよかった。彼は永遠に私の馬でなければならないんだから、豚箱に入るなんて困るわ。halpikaが犯人でないと証明するために、アリバイを早く調べましょ。
halpikaが出張してまで交渉している会社はここね。エレベーターが壊れているなんて、とんだ災難。おかげさまで階段を何段ものぼることになったわ。とりあえず、この、インターホンを押せばいいのかな。なんだか、変なかんじね。会社のインターホンを押すことなんて滅多にないから。
インターホンから2m先ではもう消えてしまいそうな遠慮がちな声がする。向こうには人が集まっているのだろう、複数人の話し声がかすかに聞こえる。沈黙してからやや間があり、ドアが外側に開かれた。
「どちら様でしょうか、その、会社員には見えませんが、それと、スマホを向けてなにをしているのですか、インタビューなら事前にアポを取ってください」
スマホから英語の音声が流れ始める。男の言った内容を翻訳したものだ。veiがスマホに言葉をふきこむ。
「私は探偵です。殺人事件の調査でここにきました。私に協力する警察の写真あります。私の活躍もあります」
veiはスマホを操作し、スライドして何枚もの写真を見せる。警察の顔、新聞の切り抜き、雑誌のインタビュー、新聞の切り抜き、テレビの特集、新聞の切り抜き、スキャンダルを主に扱う週刊誌、新聞の切り抜き。英語がほとんどだが、いくつか日本のものもあった。そこには『イギリスで大活躍中の美人女子高校生探偵veiがまたもや難事件を解決!そんな彼女の素顔を探る!』ということが書かれていた。
殺人事件と警察という言葉に影響されたのか、男はveiに素直に従った。言われるがままに仲間を説得し、証拠となるカメラの映像を探し、それをveiに渡した。
豚シャツ男の職場はこれほどスムーズにはいかなかったが、やはり殺人事件と警察と言う単語には力があるのだろう、最終的には全員でアリバイとなるものを探してくれた。それらの単語の力もあるが、彼が同僚に愛されていたことも理由だろう。
日は地の底へ眠りにつき、星と、車のヘッドライトと、窓明かりだけが灯っている。よくある、普通の光景。しかし、このなかに普通ではない非日常の探偵と殺人鬼がいる。それでも街は眠る。無理やり、嫌な記憶を忘れようとするように。
チリリリリリ、チリリリリリ、チリリリリリ、チリリリリリ。目覚まし時計がけなげに時を告げる。カーテンの隙間からひらりひらりと柔らかな朝日がこぼれ、その白い頬をぬらす。外に人の熱気はなく、冷ややかな、優しさを持った空気が街を支配している。まぶたがかすかに動き、また穏やかな眠りにつく。チリリリリリ、チリリリリリ、チリリリリリ、チリリリリリ。目覚まし時計が再び時を告げる。タオルケットから右手が這い出し空をつかむ、ベットの縁をつかむ、目覚まし時計をつかむ。役目を終えた目覚まし時計は24時間の休息を得る。
まぶたが半開きのまま、veiは起き上がりそばに置いてある服を着る。ふらふらと台所へあるき、コップを蛇口のしたに添える。こぽこぽこぽ。よく冷えた水が空気をおしのけコップいっぱいに広がる。水がたまるほどにコップのなかのうねりは小さくなる。水は揺れたまま口へはいり喉をならす。
veiは誰もいない街を一人歩く。大通りをあるき、脇道をあるき、時には塀のうえをあるき、ひたすらに遊園地を目指す。既に連絡はとってある。一般の客がくるまえに済ませなければならない。
その遊園地は特別大きくもなく、小さくもなく、綺麗なわけでもなく、汚いわけでもない本当にどこにでもある遊園地だった。管理人は観覧車の前で待っているらしい。
「veiですか」
「はい、私はveiです。協力に感謝します」
「ではこちらへ。本当にあなた一人で捜査するんですよね。警察の方が大勢きて営業を休まなければならなくなると困ります」
今回は仕方がなく、少しだけ嘘をついた。管理人は監視カメラの映像を見せてくださいと頼むだけでは協力してくれないだろう。
映像を早回しでながす。あの少年には目立った特徴がないので、似たような人物が出るたびに映像を止めなければならない。30分が過ぎ、一時間が過ぎた。管理人が貧乏ゆすりをする。それから、しばらく。ようやく目当ての少年が見つかった。その少年の行動を追うと証言通り12時すぎから22時まで遊園地にいたことがわかった。少年の行動だけコピーし、管理人に感謝を伝える。
アリバイの裏がとれた、後はアリバイが無い者のなかから犯人を見つけるだけ、皆のために早く解決しようと、veiは決意を固めた。
遊園地からの帰り道。veiは思考を巡らせていた。
そうね。まずは情報を整理しましょう。この事件の核である被害者は9:30ごろ熱海につきその後ranranと気の向くまま歩く。昼食をとり、12時過ぎにホテルにチェックイン。自室にてローションを塗ったあとranranの部屋へ移り雑談をしたり、将棋をしたり、動画を見たりして過ごす。ローションを落とし19時ごろ風呂に入る。風呂上がりに飲み物を一つ買い、自室へ戻る。その後はおそらくローションを塗り直し自室から出ることなく就寝する。こんな感じね。あのローションに含まれていたサリンの濃度だと四時間あれば死ぬ。つまり犯人は13時から19時の間にサリンを入れている。
アリバイがある者の裏は全てとれた。あとは動機になりそうな情報――被害者との繋がりとか、気が狂っているとか――がほしいけれど、そこは警察に任せるしかないわ。スマホやパソコンなどを押収して被害者と関わりがなかったか調べているみたいだし、私は動くだけ無駄だわ。
となると必要なのは被害現場の情報。被害者が最終的に死亡したところは旅館の自室。旅館の部屋はほぼ全て同じ構造をしており、一度でもどこかの部屋へ入ったものは他の部屋のようすを想像することができる。写真をみると、手前が洋装で奥が和装になっている。玄関の側にトイレがある。部屋のなかにあるものは、小型の冷蔵庫、テレビ、机、ソファ、座布団、金庫。部屋と部屋が繋がっているダクトはない。部屋を行き来するには廊下を通る必要があり、そこを歩けば必ず監視カメラにうつる。
監視カメラによると被害者の部屋へ入ったのは給仕だけ。ヴァンパイアみたいに写らない能力があるなら別だけどね。
こうなると、一番可能性が高いのはranran……けれど、わざわざ旅行先で殺すかしら。普段いる場所のほうが誤魔化しやすい。だめね、考えるにはまだまだ情報が足りない。
警察はまだ調べているだろうし、時間が空いたわね。観光をする気分でもないし、どうしようかしら。どうしても事件のことを考えたくなる。色々な視点から考えれば解決の糸口がつかめるかもしれないし、犯人の視点から、つまりどうサリンを混ぜて殺すかを検討しましょう。少し、気が滅入りそうだけれど。
西の空が色づき始めた。雲はなく、遠くどこまでも澄み渡っている。そのなかを黒い影となった鳥が二三羽いっしょになって飛んでいる。青と橙の間を目指してひたすらに飛んでいる。このまま日は沈み、月と星々が空を支配し、空は白むだろう。日本に滞在できる日数には限りがあり、悠長にしていられない。できれば解決、それが出来なくとも何か解決の切っ掛けとなる情報、考え方を残したい。しかし今解決に近づく奇特な情報や考え方を持っていない。普通の、王道のものは警察がより早くより正確に掴むだろう。探偵は突飛なことを考えるから迷宮入りとなってしまうような事件を解決したり、あり得ない速度で犯人やトリックを発見するのだ。
そこに連絡が一つとどく。インターネット上で被害者と関わりがあったかどうか分かったらしい。関わりがあった者の名前を手帳に書き込んでいく。最後に特記事項としてこんなことが書かれていた。
遊園地に行っていた少年はふぇんたいと名乗っており、ranranに入れ込んでいた。何度も会話をしているが、仲がよいという感じではなく、ふぇんたいが一方的に慕っている状況。ranranの方は特別嫌っているわけでも、好いているわけでもない。ranranは基本的に他者とある程度の距離を保ちながら接しているが被害者とは例外で仲がよかったという。そしてその事にふぇんたいが嫉妬しているかのような発言を繰り返していた。行きすぎた恋愛感情から殺人に発展するケースに非常によくにていると。
動機になりそうなものが見つかったのはふぇんたいだけ。ただふぇんたいにはアリバイがある。ここで、考えるべきパターンは二つ。ふぇんたいが巧妙にアリバイを作っているパターンと、犯人が巧妙に被害者との関係を隠しているパターン。後者は推理ではどうにもならない、警察の得意分野。だから、前者の可能性を検討しよう。
遊園地の入場券があり、入場する様子が顔まではっきり写っていることから彼が遊園地にいたことは間違いない。遊園地にいながらサリンを混ぜられる方法があったのか、それともアリバイを偽装する方法があったのか。今ある映像だけで手がかりがつかめるか分からないが、見返すしかない。
翌朝。机の上は昨日と同じ状態、ある時間で止められた監視カメラの映像と、これから伝える内容が打ち込まれた翻訳サイト。起き上がり、水を飲む。朝食をとりながら翻訳された音声を録音する。待ち合わせ場所を確認し、時計をみる。必要なものを集める。部屋をでて、鹿撃ち帽を頭にのせる。
「どうしたんですか、急に呼び出して。仕事があるので時間をあまり長くはとれませんよ」
「犯人は少年、ふぇんたいです」
「確かに怪しいですが、彼にはアリバイがあり――」
「彼はアリバイを偽装している」
「全部、それで話すんですね。それに、私に話させる気はないと」
音声を流しながら、監視カメラの映像をみせる。そこで彼はあたりを見渡し、青い服の少年に話しかけにいく。
「見て。黒い服を着ているのが容疑者です。彼が彼とよく似た背格好の少年と話している」
彼は手を合わせ、なにやら必死に頼み込んでいる。数枚の紙幣を渡すと、少年は頷いた。
「腕時計の付け方を覚えて。黒服は左手に、青服は右手に付けている」
二人はトイレへ入る。先にでて来たのは青い服の少年。
「腕時計の付け方を覚えていますか」
映像をとめ、ズームする。腕時計は左手についていた。続いて黒服が出てくる。右手に腕時計を付けている。
「腕時計の付け方が入れ替わっています。おそらく、これは付け方を交換したわけでわなく、無意識、互いの癖が出たものだと思う。つまり彼らはトイレのなかで服を交換した。目立った特徴のない、平凡な外見を利用した。自分と似た少年に同じ服を着させることでアリバイを偽装した」
黒府の行動を追うと、その後は何度もスマホを確認する様になった。22時になりスマホを確認すると、長い間列に並んでいたにもかかわらずその場を離れ、出口へ歩いていった。
「推測ですが、彼は自分と似た少年にアリバイを作らせ、その間に旅館へ向かいました。そして、機会を待った。被害者が温泉に来たことを確認すると、外から脱衣所へ忍びこみ、サリンを混ぜた。温泉、脱衣所は監視カメラがない唯一の場所。そして、自分が疑われない程度にアリバイが出来たら呼び出して、入れ替わりをもとに戻す。これで完成します」
「確かに、ありえそうな筋ですね。」
「後はあなたに任せます。さようなら」
そう音声を流し、去ろうとする。
「待って、Wait! You're not going to do anything else?」
「There are people waiting.So I'm leaving.」
振り向き、答え、歩きだす。足取りは軽く、堂々としていた。
その後監視カメラや目撃証言を集めると、青い服の少年が旅館へ向かい温泉の様子が見えるところでずっと待機していたことが証明された。また、黒い服の少年と青い服の少年が公衆トイレの前で待ち合わせ、トイレへ入ったことも分かった。出てくるときはやはり、腕時計の付け方が反対になっていた。残念なことにアリバイ偽装に使われた少年は見つけられなかったが、これらの情報を警察がうまく使い、つまり追い詰めるようにじわじわと小出しにして、取り調べをおこなうと、彼は自白した。
動機について、彼は、
「RANRANさんはいい人。好き。まず声が大人っぽくてとても好き。 性格も落ち着いていて、紳士的で、大人っぽくて好き。それなのに戦闘機好きな一面があってそのギャップにとてと萌える。 戦闘機の話をしている時のあの輝きようが、とても楽しそう。 それから、なんやかんやで同じネタを何回もやっちゃう所もすこし大人びた中にある子供っぽさのようでとてもいい。
それと丁寧な言葉遣いで日頃からとても良い人なのに、自分の好きな物になった瞬間に冗談も混じっていてそこも可愛い。 そして私がb-29を戦闘機と間違った時に「b-29は戦闘機ではなく爆撃機です 以後気をつけるように」と言った後に我に返り、「あっ、すみません 私も興味がありますから、話してください」とすこし擁護していた。 自分の行動にふと我に返るところと大人っぽい私へのフォロー、未だに覚えている。そんな、そんなranranさんをあの男が誑かした。許せなかった。ranranさんは僕と愛を誓ったのに。ranranさんは僕の物なのに。それなのに、男は図々しくranranさんと旅行に行った。だから殺した。だから殺したんだ、当然の報い」
そう異常にギラギラした、欲望的で、手前か奥かどこを見ているのかわからない、どこも見ていない目をして語った。語る途中で、片方の唇だけが上がったり、目が大きく見開かれたりしていた。
この事件で一番不可解で、最も重要な部分、なぜ中学生がサリンを持っていたのかについて
「親が憎かった。上から目線で、こちらの気持ちを考えず、まるで人形のように扱ってくるのが許せなかった。親は気分が悪いと僕を殴った。決まって腹だった。回りにばれないように腹を狙っていた。親が気にしていたのは世間体で、僕のことはちっとも考えてなかった。抗議をしたら、殴られ、蹴られ、体にしばらく消えない傷と、心に全く消えない傷がついた。そんなとき、友人がダークウェブへのアクセスの仕方を教えてくれた。神か、何かがやれと言っているように思えた。サリンを買った。サリンを使ったら親に言うことをきかせられると思った。何度もサリンを目の前に置いた。何度も開けようとした。けれど、出来なかった。親にかけてやる情なんてこれっぽっちもないのに、出来なかった。そのままサリンはしまってた。あの男に対してはなぜか使えた」
こう述べた。未成年、それも中学生であること、家庭環境により精神的に不安定だったと思われることから、刑は軽くなった。ただ、今回のようにうまく換気ができていないと、周囲にも影響が出かねない犯罪だったので、少年院ではなく刑務所へ送られた。
あの日より強く、あの日ほど不快ではない日差しが降りそそぐ。確かに地面を踏みながら歩く。手から顔から全身から汗がじんわりと滲み出し、たがいを呑み込んで成長した汗はあごを、手をつたってひとつの水玉となり静かにゆっくりアスファルトに落ちる。蝉も暑さにうんざりしているのか、とても小さな声で鳴くか、あるいは全く鳴かず、あたりは静かだ。
紙袋には華やかで落ち着いている花束とほんの少しの線香と、ゆっきさんが好きだった和菓子が入っている。
黒い服の集団とすれ違いながら門をくぐる。彼らは一様に深い底に気分を落としている。彼らは何日で前向きになるだろうか。私は前向きになるのにどのくらいかかっただろうか。ぼんやりと当時を思い出した。霊園にはそれなりの人がいる。家族で来るもの、友人と来るもの、一人で来るもの。深く関わった故人を偲ぶために、現実を強引に受け入れるために、他に管理するものがいないので掃除をするために。ここに来る人は様々だ。ゆっきさんの墓は奥の一角にある。愛、夢、命、ありがとう、やすらかにここに眠る、墓に彫られた文字。それらを眺めながら角についた。
墓に花束を、大輪菊と小菊、フリージアの花束と和菓子をそっと供える。今日は七回忌。墓に花を供えることも慣れてしまった。桶から泉のように澄んで冷たい水をくみ、ゆっくり何度もかける。太陽をきらきらと反射し、清らかに流れ落ちる。空には雲ひとつなく、遠く離れた山まで見ることができた。紙袋からとりだした線香を右手にもち、左手のライターで火を移す。移すためにつけた火は穏やかだった。線香の煙は緩やかに昇って、薄くなって、見えなくなった。話すべきこと、話したいことを整理し手を合わせる。これももう、慣れた。
「お久しぶりです。今日は七回忌です。もう六年もたつんですね。なんだか、信じられないです。模範囚として出所したふぇんたい君は、親との関係が改善したそうです。ゆっきさんを殺した張本人なのに、それを聞いたときホッとしました。私は彼にどのように接すればいいのでしょうか。殺人犯として憎むべきなのか、更生した模範囚として優しくするべきなのか。答えが出ていないので、彼とはまだ直接は会ってはいません。ただ、いつかは会うつもりです。」
答えが出ていないことは他にもある。私の行動しだいではゆっきさんが死ぬことはなかったのではないか。もっとはっきりふぇんたい君に向き合い、話すことで何かが変わっていたのではないか。何度も考えた。朝も夜も昼も。ボーっとしているとその考えになるし、何かに集中しているときでも考えてしまうことがある。最初は心配していた人も何も思わなくなるほど日常的に考えている
「前を向きな」
うしろで誰かを励ます声がする。その言葉は愛に満ちていた。地球を覆う海のような広さと深さをもっていた。心なしか懐かしい響きをそこに感じた。枝先の葉がそよ風にくるくる回る。
「そんなに悩む必要はない」
より近くで声がする。いたわる声が羨ましくて、思わず後ろを見る。そこには半裸が立っていた。
風が強く吹く。枝先の葉は何回転もしているはずだが、離れることなく風を受け続ける。いつの間にか人がいなくなっていた。雲が太陽を半分隠す。
「ゆっき……さん」
あり得ない、彼は死んでいる、ここにいるわけがない。それでも目の前で微笑をたたえて立っている。私の心が、何かを求める心が、動き始めたのが分かった。
「久しぶりだな」
この墓はゆっきさんの故郷の、特に人気の高い場所にある。周囲の聖堂と礼拝堂、神社と寺をつなぐと十字架の形になり、ちょうど交差するところにあるそうだ。十字架の中心。神の奇跡なのか、ゆっきさんが私の前にいる。生き返ったのか、よく似た誰かが演じているのか、私がおかしくなったのか。ゆっきさんが墓に近づき手をのばし、和菓子を食べた。理由はどれでも構わないと思った。私はゆっきさんを抱き締めた。