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『サトゥルヌスの子ら』個人的読解 『あいがん』を添えて
はじめに 先日、フォロワーさんと『サトゥルヌスの子ら』という作品について意見を交わしました。ちなみに『サトゥルヌスの子ら』はBFCというオンライン上の文学イベントに出ている掌編です。ここから読めるよ。彼は本作における父がどのような悪か定義しかねており、その上で
「本作はなぜ父という役割が敵で無ければいけなかったのか」
「本作はなぜ『サトゥルヌスの子ら』という題名なのに娘達の話なのか」
この2点を
必須でないものに生かされているって日記
人生にとって必須でないものに力をもらうのが好きだ。あまりお仕事の話はしないのだけど、普段千早は(広い意味で)決して生きるのに必須ではないものを作ったお金で生かされている。お米作りとか病院とか交通機関みたいな生存に直結しそうなものではなく、多分なくてもなんだかんだ世界は回っていくだろうと思えるものだ。
好きなものもそうだ。千早はミステリを読むのが好きだし、これがなくなるととーっても困るけど、生物
短歌 テーマ詠『月』
あの頃は月まで駆けた自転車に野菜を詰めて今日も帰るよ
今夜はこんなに月が大きいから浜辺の文字はもう消えたかな
人類にとっては大きな一歩です 月を見上げる36億
「これは月が綺麗な方の月が綺麗」言い訳をして月が綺麗です
読書日記っぽい短い日記
本を読んでいると、とんでもない一文に出会うことがある。それまで辛いとか苦しいとかすら認識してなかったのに「この一言が欲しかった」と心の底から感じる文章。そういう文にであうと、出先でもお構いなしに涙がじわりと滲む。
わたしにとってそんな文章をたくさんくれる作家が、何人かいる。ずっと憧れで、読むたびに好きと凄いと叶わないでぐちゃぐちゃになる人たち。幸せだな。やっぱり良いな。辻村深月の『ハケンアニ
はじめてクラブに行った日
「「いきてるみんな生きてるか!バーチャルアンデッドユニットBOOGEY
VOXXです!」」
「いええええい!!」
スクリーンに推しの顔面が映り、ステージ脇のスピーカーが爆音で震え出す。背筋がひとりでに伸び、勝手に口から声が飛び出る。音に乗る。名前も知らない人たちと共にジャンプしていると、悩みも全て溶けて消えていく。気持ちいい。超楽しい!
クラブに来たのは初めてだった。もともとお酒も飲まずタ
時々フィクション日記 サブスクとムーンナイト(ネタバレなし)
突然だけど、皆はなんのサブスクに契約してる?
Netflix?イチオシ。ひとつ選ぶならこれ。Netflixオリジナルの質も素敵。
U-NEXT?もっとも充実している。その代わり、お値段も少し高い。別途課金の場合も多いけど、NHK系があるのいいよね。
TSUTAYA DISCUS わたしは有効活用出来てないけど、サメ映画愛好者などはここ一択感。他の場所にとんちき映画が置いていないので。
色
時々フィクション日記 オチもない一発書き
久々に下書きも何もないやつ。オチもきっとない。
書きたいネタはそこそこあるのだけど、形にするのが面倒でゴロゴロしている。
明日はシン・ウルトラマンですよ、奥さんって話だったり、ドクター・ストレンジ観てから、ワンダのこと考えちゃうみたいな話だったり、ブギーボックスはいいぞ、雨次第だけど当日券空いていたら明日のリアイベ後方腕組みしてようかしらと思ったり、最近サウナにハマりだしたみたいなことだったり..
時々フィクション日記 お姉さん
「本当に転がりこんでいい?」
お姉さんは、メッセージの文面からでもわかるくらい憔悴していた。
「もちろん」
わたしは即座に打ち込んだ。それから一年と少し、わたしはお姉さんと一緒に暮らしている。
初めてお姉さんと会ったのは同じ趣味サークルだった。歳は結構離れていて、時たま一緒に遊ぶ間柄になった。恋愛関係ではなく仲の良い友達の一人。
当時から、わたしは亡くなった祖父の家に住んでいた。家は二世
時々フィクション日記 嫌いだった言葉
「まだ若いんだから」という言葉が昔、嫌いだった。中高校生の頃、親や周りの大人に悩みを打ち明けると、皆判を押したようにこの言葉を発し、うんうんと頷く。
当時は「若いかどうかなんて関係ないだろ!」なんてトゲトゲしていたし、「悩みと若さに関係なくね?」と反発もしていた。
ただ、最近リアル世界では私も最年少!というわけには行かなくなってきて、自分より数歳若い人の話を聞くと、したり顔で言いたくなるのだ
時々フィクション日記
小さい頃から日記が嫌いだった。物心ついたときからずっと本の虫だけど日記だけはどうにもダメだ。日記避けのために、学校に提出する絵日記で桃太郎翻案ファンタジーを長期連載していたこともある。正直、相性の悪い先生だったが、毎日怪文書にコメントをつけさせる苦行を課していたことを思うと、同情を禁じ得ない。
なんで日記が嫌いなのかって、そこに嘘の余地があまりないからだ。自分が日々感じていること、考えている