一人称多視点への挑戦
物語を一人称で書くか、三人称で書くか、トランボはこれが小説の成否を決める重要な決断だと思っています。トランボがこれまで書いたのは長編4本、短編2本。いずれも一人称で書きました。どうしても三人称には手が出ないのです。
三人称は神の視点です。主人公が知りえない事実などを書くことができます。したがって、物語を広がりのあるものにできます。一人称にはその逆のデメリットがあります。つまり、主人公が知りえないことは書くことができないし、そのキャラ設定によっては書けることに制約が生じます。(例えば、三歳の子どもの視点で書いているのに、その子が相対性理論について語り出したら、ちょっと可笑しなことになりますよね。)
それでもトランボが、一人称を選択してしまう理由は、人物の心情を書きたいからなのです。トランボの書く物語の大半はミステリーです。物語とともに、登場人物の心をしっかりと描きたい。だから一人称なのです。(ただ、三人称を全面的に否定しているわけではありません。いつか書いてみたいと思っています。)
トランボが小説投稿サイトに公開している長編2本は、一人称は一人称でも、一人称多視点で書かれた作品です。つまり、語り部が一人ではないということです。語り部が入れ替わることで、読者が混乱をするというデメリットがありますが、あえてこのスタイルに挑戦しています。
一人称多視点で書かれた素晴らしい作品はいくつもあります。例えば、小池真理子先生の「恋」。主人公の女性とその女性の半生を追うルポライターの視点が入れ替わります。辻村深月先生の作品にも一人称多視点で書かれたものがあります。「朝が来る」「傲慢と善良」などで、視点が転換します。
トランボ作「声」は章ごとに語り部が変わります。都内で発生した通り魔事件の関係者が順に登場します。同じスタイルで書かれた作品としては、湊かなえ先生の「告白」があります。(こちらは松たか子さん主演で映画になっていますね。)
もう1本の公開作品「スマートホーム」は三人の人物の視点が同時進行します。(そのうちの一名はAI。)しかも、視点によって時間軸がずれているため、読みにくいだろうな、と思いながら書きました。
「スマートホーム」をもって、一人称多視点への挑戦は一旦、終了。先日書き上げた新作は一人称一視点で書きました。これからもさまざまなスタイルの作品に挑戦してみたいと思います。
<作品情報>
小説投稿サイト「エブリスタ」に作品を公開しています。