昭和のこども
両親の重たい話をいきなり書いてしまったので、聞いていて楽しかった話を書いてみる。
2人とも終戦前、昭和の早め生まれ。
母は山あいの集落で育った。
大家族の田舎暮らしの話をよくしてくれた。
キャンプに一緒に行ったときに、火を起こすのに四苦八苦していた私と主人を見かねて、新聞紙でくるくると火吹き竹もどきをつくり、あっという間に焚き火のセッティングをしてくれた。
風呂を薪で沸かすのは子供の仕事だったからね。と。
5月になると、山に行って笹をとり、ちまきを何本も何本も作って送ってくれた。
薄ーい葉が団子の上に巻かれ、厚みのある葉がその上に重なる。(仕上げにちまきを締める紐状の植物が、いつしか、手に入らなくなったからとビニール紐になったのは子供心に不満だった)
お盆になると、子供の頃はああしてこうして、子供はこんな役割で、、
という具合に、四季折々、昔のことを楽しそうに話してくれる。
モノは少なくても、自分たちの手で生活に様々な工夫をこらし、人との付き合いが密で、今とは比べ物にならない豊かさが伝わってくる。
母はちまきはもう作らなくなった。私もやり方が分からない。
母の世代まで受け継がれてきたことが私のところでついえてしまうのだろう。
父は湾のある海辺の育ち。父から聞く話は、田舎のヤンチャな子そのもので、もっともっとたくさん聞いてみたかった。
湾の近くにあった生家の裏手から小舟に乗って湾の反対側まで漕いでいき(他県!)、そこの畑の作物を少々失敬してお腹を満たし、また漕ぎ戻った。(農家さん代わりにお詫びします🙏)
テント代わりに蚊帳を持って山に行き、一晩中、雷鳴とともに夜空に広がる稲妻を眺めていた
仲間でオナラを缶に集めて火をつけてみた
自転車の折れたスポークを使ってウナギを釣った
地引網で取れたイワシをその場で頭とお腹を出して海水で洗って食べた
などなど。
たまにしてくれるそんな話にワクワクした。
私が育った頃は、昭和といえどそんな自由さはもうなかったけれど、私のDNAに乗っかっているのか、話を聞いているうちに自分でも経験したかのような錯覚に陥る。
父の生家も家族も何も知らないけど、父が見ていた光景を自分の目で見ているような気がしてしまう。
父はちょっと変わった人だった。一度2人で電車に乗り、遠方に行く羽目になったとき、道中何を話していいのか分からなかったのだろう。稲妻の発生する仕組みについてずっと語られたことがあった。
皇居の石垣の積み方と、お堀の水の仕組みについても語り出して止まらなくなったことがあった。
今思えば、父もADHDだったのかもしれない。次に何を言い出すか、何を思いつくか分からないところがあった。(そしてそれは私と息子にしっかり引き継がれてしまった。)母は、今でこそあんないい加減な男、と口では言っているが、何をし始めるか分からない謎のエネルギーに満ちた父のことが本当に好きだったんだろうなと分かる。
こう書いてみて、人が持っている知識や記憶や経験は、その人と話ができなくなったら、もう知ることはできないんだな、と改めて思った。
母の昔話を、ふんふん、ほうほう、へーと聞き流してしまっていることが多かったけど、反省。
父からはもうそんな楽しい話を聞くことはできない。
できることはできるうちに、聞けることは聞けるうちに。
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