本が私にくれたもの
未婚母子家庭だったため全く裕福でない子供時代だった。
ほぼ100%兄のお下がり。
忖度娘には異議を唱える選択肢はなかった。
思い出すのは、小学校で家庭科の授業が始まったころ。お裁縫箱の注文が学校で取りまとめられ、周りの友達は皆可愛く華やかな和柄のデザインを手にしていたが、私は兄のお下がりの兜柄だった。小学生女子にはなかなかの試練である。家庭科授業の前日、お下がりの裁縫箱の兜と睨み合い、上に紙を貼ったら誤魔化せるだろうかと必死で知恵を絞ったものだ。
スキー教室の時も、周りの女子はピンクや赤の色とりどりのスキーウェアで身を包む中、1人真緑の上下だった。
余談であるが、小学校4年か5年の頃の誕生日のプレゼントが、昔のお母さんの自転車によくついていたハンドルカバーだった。「これがあればあったかいで」と笑顔で言われたので喜んだふりをしていたが、友達と出かけるときなど本当に恥ずかしく、カバーには手を入れず手を上に乗せて漕いでいた(ブレーキが咄嗟に握れないので今思えば危ない)
一回でうんと言ってもらえることはまずなかったので、子供ながらに学習してしまう。どうせダメって言われるし、と最初から諦めてしまう癖がついた。その反動もあるだろう。18で親元を離れてからは、好きなものを好きなように買えることに感動して、使いすぎるようになり、別の意味で苦労するようになった(これは今でも尾を引いている)
母に、なんでお兄ちゃんはいろいろ買ってもらっとったに、私にはダメって言うの?と聞いたことがある。兄のときは初めての子で喜ぶのが嬉しくていろいろ買ってやっていたらわがままになってしまった、あんたには我慢を覚えてもらわんと、という答えだった。私にとってはただの貰い事故である。
兄は兄で金銭感覚がおかしいところがあり、兄弟それぞれに苦労しているので、この面に関してはどちらの方針も私たち兄妹にはフィットしなかったようだ。
ほどほどに満たされ、時には我慢という経験が必要なんだろう。
金銭的な部分では不満だらけの子供時代だったが、本だけは違った。
私自身はもう覚えていないのだが、母は毎晩読み聞かせをしてくれていたそうだ。父から、「お母さんはな、トラコがもう一回読んでとせがむと、何回でも何回でも読んでやっとったぞ」と聞かされた。自分の記憶としては残ってなくても、毎晩安心して眠りについていたんだろうと思う。
自分で読めるようになってからは、家にあった本を片っ端から読んだ。
子供の頃に夢中になった本の中では、赤毛のアン、大草原の小さな家などが特に思い出深い。
シリーズ全巻、彼女たちが結婚して子供を育てていくところまで繰り返し繰り返し読んだ。
文字しかなくても、そこからいくらでも頭に情景を思い浮かべることができた。上述の2冊であればカナダのプリンスエドワード島、アメリカ開拓時代の大平原。文字通り想像の翼に乗って世界を駆け巡っていた気がする。そして読み終わった後は、決まって長旅を終えたあとのような抜け殻状態になる。
空想でつくりあげたプリンスエドワード島が素晴らしすぎて、実際の写真を見た時にがっかりしてしまったほどだ。
絵本を読んでいる間、心はどこにでも行けた。誰にでもなれた。
子供時代を思い出すと、クリスマスプレゼントが消しゴム一個だったこともあるくらい生活にゆとりはなくて、国内旅行もままならないような幼少期だったが、時空を超えて心は広々と飛び回っていた。
ネットというものが出現して以来、めっきり本を読むことは減ってしまったが、先日、久しぶりに芥川龍之介の本を手にとったところ、綴られていることばに魂が引っ張りだされる感覚が蘇った。
母の読み聞かせが土台になったのかはわからないが、この力をもらったことで、私の幼少期は、本と想像力のおかげで、現実よりもうんと豊かであったように思う。
子供たちが小さい頃にも毎夜読み聞かせをしていた。残念ながら私の子供達は読書好きにはならなかったが、何度も読んだお気に入りの絵本のフレーズは、子供達が大きくなった今でも、家族の会話の中に出てくることがある。
眠る前のひと時、親子でくっついて絵本を読んで笑い、そのまま一緒に寝落ちしてしまったこともしょっちゅうだった。時々夫も読み担当をしてくれたが、人の声を聴きながら眠るってとても気持ちが良いことだった。
本がくれたもの、それは、思い出すと、「私の人生にこの時間を与えてくださってありがとう」と感謝で胸がいっぱいになる大切な記憶だ。