50代になって振り返ってみる恋愛にまつわる話
40代になった時、自分は人生の表舞台から降りた、という気分になった。表舞台に上がっていたかどうかはともかく。
まだまだこれからの気持ちでいっぱいだけど、スポットライトからは外れたというか(当たっていたかは置いておいて)
山道でいえば、登頂を終えて、時々いい景色を眺めて、お昼も食べて下山道に入ったというところか。
恋愛ドラマをみても、親目線で感情移入することが増えた。
気分は若いままなところがあるので、もちろん若い世代の役にも感情移入は欠かさない。というわけでドラマを観るとあの人この人に共感が止まらないので忙しい。
最近では、テレビでイケメンをみるたびに、〇〇みたいなお婿さんお願い、と娘にリクエストしている。
若い時は、自分の自己肯定感の低さからくる、好意を示してくれた御方には好意を示して返礼、好きでもないのに好きになってしまった気持ちになるという、おそらく幼少時のあれこれで染みついてしまったアホな習性にやられっぱなしだった。
いっぱいになったことがない心のバケツに愛を注いでくれる人をずっと探していたような。
交際する時はお人柄(と見た目が好みかどうかも意外とポイント。人は所詮本能で生きる動物である)が大事だというのに、お人柄(と見た目)の好みは二の次三の次、注いでくれそうなだと思うと好きになった気になってしまうのである。
時折、娘から、私のむかしの恋愛話を聞かれたりするが、やめてほしい。話したところで、キモっと言われて終わりだろう。
そもそも、何もキラキラな話がない。
もっともっと子供が大きくなって、人生の先輩としてアドバイスを求められたら言うかも。
その時がきたら、、
まず一番にコレを言っておきたい。嫉妬深い人とは付き合っちゃいかんということ。
嫉妬深い人、それはすなわち人を信じることができない人。
…と個人的に思っている。
私のことを愛しているから心配するのかしら、じゃないんだよね。
連絡が取れない=浮気してんじゃないか
なかなか会えない=浮気してんじゃないか
こういう人は負のエネルギーの塊になりやすい。
嫉妬深いのは、自分も人も信用できないから安心できなくて常に視界の中、もしくは連絡の取れるところにいないと安心できないということ。一番近い存在であるはずの自分とも信頼関係を結んでくれない人。
そんな人と人生の一部を共にするなんて、一言でまとめると苦行じゃないですか。
あと死ぬ死ぬ言う人もダメ。
過去に一度、嫉妬深い人と付き合ったことがあった。
私が彼の思う通りにしなかったとき、彼は、途中から死ぬ死ぬ言い始めた。
最初はビックリして狼狽え、待って!!と必死に止めてしまったのだが、それに味をしめたのか、何かというと「オーケー、分かった。僕は死のハイキングに行くよ」と言うようになった。
だんだん、うんざりしてきて、一度、行けば?と言ってみた。そしたら彼は電話の向こうで「この人殺し!」と叫んだ。
もうね、アホかと。
今振り返れば、そこで全ての縁を切ってもいいくらいだったかも。
もう人生一度やり直せるならそうするな。そしたらその後の2年余りを無駄にせず済んだ。
付き合っている恋人同士の間で、死ぬ死ぬワードが出てきても、言われた側はあまりうろたえなくてもいいと思う。死ぬ死ぬ言って気を引きたい人が99.9%と思われる。
と言っても責任は取れないけど…
警察に、こんなことを言っている人がいる、って通報しておいた方がいいかな?
確信を持って言えるのは、その手のワードが2人のどちらかから出てきて、相手の愛情を確かめたり、繋ぎ止めようとするようになったら、健康的なカップルとしてのおふたりの関係は終焉を迎えているということかな。
そこからリカバリしてフツーの信頼し合う恋人や夫婦になった方っているんだろうか。
なかなか難しい気がする。
娘や息子には、ドキドキ、ワクワク、キラキラな、内側も外側も輝いていく恋愛をしてほしいと切に願う。
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