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おかあさん

初投稿で父のことを書いたので今回は母のこと。

母子家庭で育った私には、母は物心ついた時から自分の唯一の生命線だった。子供ながらに、この世の中で私のことを心底思ってくれるのは母だけ。この人がいなくなったら自分は終わるとわかっていた。

歳の離れた兄がいるが、私が中学に上がる頃に上京してしまったので、私が進学で家を出るまでの間は実質母子二人暮らしだった。(夕飯時には父がいたが・・)

そんな私の人格形成がどうなったかというと、母ファーストが骨の髄まで染み付いてしまい、苦労している。
気をつけてないと、今でも夫より母の意見をナチュラルに優先してしまいそうになるのだ。

「お母さんが死んじゃったらどうしよう」が子供の頃からずっと私の根底にある。
母は当時教材の訪問販売の仕事をしており、夜間しか在宅でないお宅に届けるために夜不在にすることがあった。当時は携帯なんてものはないので、どこにいるのか、何時に帰ってくるかも子供の私にはわからず、1人で待つ心細さで夜の闇に呑み込まれるような気がした。
兄は部活で帰宅が遅く、父は時間になったら「会社へ戻って」しまうため、私はますます「父は信用ならん」という思いを強めた。
「お母さんが帰るまでこれでも見といてな」と父が付けたままにしたドリフの番組に向かい、心の中で「終わらないで」と一生懸命お願いしたが、20時50分がくると無情にも終了。テレビも頼りにならんと冷めた感情をいだいたのを覚えている。
今でもドリフのコントは好んで観ない。狭い茶の間で1人座っている自分の姿が浮かんでくる。

当時借家に住んでいたのだが、壁が薄いため隣に住んでいた友達一家の家族団欒が手に取るように分かる。キャッキャとはしゃいだり笑い合ったりする声が聞こえる中、一人で待っているのは堪えた。借家住まいの母子家庭のくせに、なのだが、子供の頃はそんなことは分からない。母に、お手伝いさんがいたらいいのになとねだってみたこともある。

とにかく不安だった。

兄が帰ってきた後に、我慢しきれなくて「おかーさーん」と窓を開けて暗い外の闇(実際は隣家があったが)に向かって叫び、兄が恥ずかしいと激怒したことも。
そして、そういう行動を取ったところで、1ミリも自分の心の助けにはならないということも学んだ。

よくよく考えれば、母がそんな風に不在にしていたのは月のうちのほんの数日だったろうに、50を過ぎた今でも心に深く刻まれている。

学校に上がってからも、家に帰る道の最後の角を曲がったときに母の自転車が見えないと、留守か…とガッカリしたものだ。

40年以上前のことなのになんと鮮明に覚えていることか。

白状しよう。「お母さんが死んじゃったらどうしよう」と、幼少時のお留守番時に心に叩き込まれた「夜に1人でいる孤独への恐怖」が行動基準の根底にあるため、自分が不在の間は母が寂しいんじゃないか、とか、火事でも起きて母に何かあったら、、と心配が過ぎて修学旅行をズル休みしたことすらあるのだ。ここまでくると異常、いや、実生活に障りがでているから障害か。自分でもおかしいのはわかっている。これはリアルでは誰にも言っていない(笑)

進学で家を出てからも、一人暮らしになってしまった母が心配で、毎日欠かさず電話していた。
英語が好きだったこともあり、20代前半は留学してみたいという夢を持っていたが、これも自分で縛りをかけてしまって果たせずじまい。
当時の交際相手たちには、不思議がられたり嫉妬されたりしたものだ。

大事かつ恐ろしいポイントとしては、母はそんなことを強要したことはない。私が勝手に思い込んで、「こう思わせてしまうんじゃないか」と常に先回りしただけの話。上述の話を母が聞いたら驚きのあまり卒倒するかもしれない。
私だって、もし母の立場なら子供にそんな気遣いされたくない。
一人忖度人生。

そうはいっても、やりたいことを自由にやりたい性質もある私。
ここまで自分の質(たち)をわかっているなら気持ち良く従順でいれば良いものを、そうもいかず、結婚し子供ができた30代の頃から母に対して我慢しきれない感情を抱くことが増えた。
出し方が下手なので丁寧語になったりして非常に嫌味ったらしくなる。
50代になった私は母のちょっとした発言に無神経だと噛みつき、嫌味を言い、その一方で自分が好きで買ってきたものを母が「いいねそれ」と言っただけで譲ってしまい、後で一人イライラしている。そして、「お母さん死んじゃったらどうしよう」「会えなくなった時に後悔したくない」という子供の頃から染み付いた気持ちが蘇り、気持ち良い態度を取ればよかった、と己の狭量さにも腹を立てている。

両親揃った普通の家で育ったのならどんなに良かっただろう、どんな私になっていたんだろう、と夢想することが今でもある。家に例えてみれば、両親がいる家は大きな柱が2本。母子家庭の自分は1本しかない、そんな気持ちだった。

人間の子供が健やかに育つには、父性的、母性的、この二つの両方の愛情を受けた経験を持つことが必須なように思う。
周りの友達にも母子家庭の子がいるが、お互い知り合っていくうちに纏っている独特の空気感で何となく(同類かな?)とアンテナが立つ。
家の話をするようになる頃には、お互いに『やっぱり!同じ匂いがした!」とうなずき合うことが多い。

女性同士のカップルが(計画的に)同時期に妊娠し、生まれた子供を一緒に育てていくとか、同性同士のカップルでおそらく外国のお子さんを養子にして育てている、など、現代の新しい家族の形態を目にする機会があった。ご本人たちは良くても、一体お子さんがどのように大きくなっていくのかと、余計なお世話だろうが一抹の不安を覚えた。
ジェンダーフリーが叫ばれる世の中ではあるが、人間も元を正せばただの動物。長い長い進化の中で形成されてきたものは簡単には変えられない気がする。

また話が逸れてしまった。
母から注がれ続けてきた深く迷いのない愛情には感謝しかない。
そして、私の子供たちが、でっかい二つの柱がある家で育ったという記憶を持ってくれること、「お母さんが心配」という理由で自分のやりたいことを諦めず、自分の人生を歩んでくれることが、私の子育ての目標の一つかもしれない。


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