田舎に帰省

帰省について記録する。

〜帰省前〜

実家に帰ればご飯は出てくるし、フルーツいっぱいあるし、洗濯物もしなくていいし、親戚の家に行けば美味しいものたくさん貰えるし。尚且つ、私は東京にいると髪の毛や肌の乾燥が酷い。地元に帰ると一瞬で肌も髪も潤うので、帰りたくてたまらない。でも、もし家族が全員集まってしまうと、空気が殺伐とするのは間違いないので、油断はしないでいた。

夫も実家に帰るのを楽しみにしていて(私たちは実家が同じ県なので、帰省するとお互いの実家にそれぞれ帰る感じにしている)、帰る前からワクワクしていた。

ワクワクな夫が帰省しない同期と電話をしていて「いやいや〜!帰れよ!」なんていう冗談を言っているのを聞いた。その同期がどんな人だか知らないが、親と仲悪い可能性は考えないんだな〜とか、積極的に帰省したいと思っている人ばかりじゃないんだけどな〜とか、余計なことを考えていた。夫は健全な家庭の出身なので、住んでいた世界が私とは違う。(前の記事に書いた通りだが、私の言葉で言えば、私は修羅出身、夫はお花畑出身である。)

〜いざ帰省〜

やはり家族全員が揃うと非常に空気が悪かった。幼少期から長い年月を実家で過ごし、慣れていると思っていたが、想像を絶するほどの殺伐とした空気だった。一人暮らしになってからはあの空気に触れる回数が減り、今では夫と二人、東京でのんびりとした雰囲気の家庭になったため、めっきり耐性がなくなっている。こんな雰囲気でよく毎日過ごしていたな、思春期の自分はよく頑張ったな、と褒めてやりたくなるほどだった。
あまりの空気に耐えられず、大音量でひろゆきの発音の良いバースデイソングをかけて、爆笑して気を紛らわしたりした。ありがとう、ひろゆき・・・

一人の家族は、2泊ほどしてすぐに、仕事で自分の家へ帰ってしまった。仕事だからと言っていたが、おそらく家の雰囲気に耐えられなくなったからだと思う。私はよく会うので特に寂しくなかったが、こんな家でもお盆休みには毎年わざわざ何時間もかけて帰ってくるのに、散々な目に遭って可哀想だなと思った。

その後は殺伐とした空気も和らいだ。実家に誰かが購入したウクレレが置いてあり、少し触った。そこから毎日3時間以上練習するほどウクレレにハマり、東京に帰ってきた今もウクレレを買って練習を続けている。良い趣味を見つけることができた。

墓参りをした後、日にちを分けて5件くらい親戚の家を回って歩いた。県をまたいだり、市を跨いだり、中々ハードな運転だった。父方の祖母を乗せて行った。死ぬ前に一目みんなに会いたいと言う。死ぬ前にと言い始めて何年経っただろう。頭もしっかりしているし、長生きで何よりである。

親戚の家では皆老人を抱えており、大体が口を揃えて「子供たちに迷惑をかけずに死にたい」と言う。皆終活は終わっている様子だった。中には老老介護をこれから始める親戚がいた。介護する方は「最後くらい家で過ごさせてあげたい」と言っていたが、介護される方は話すことも重労働な感じなので、今のまま施設にいたいのか、家に帰りたいのか、実際のところはわからない。子供の頃によく可愛がってもらい、威勢よく叱ってきた親戚たちが、死ぬ準備をしていたり、介護がきつくて疲れ切っている姿を見るのは、やはり堪えてしまう。何かできる事があれば言ってくれと言っても、こうやって顔を出してくれるだけで嬉しいよ、と言ってくれる。そして美味しいお菓子とフルーツをたくさんくれる。

夫の話にもなった。結婚式を挙げないので、夫について紹介する機会が特になかった。
旦那さんどこの人なんだ〜?と聞かれ、同じ県の⚫︎⚫︎市出身だよ〜というと、「あぁ、そうなの!じゃあ良いさ!」と安心された。同じ故郷というだけで、安心感を与える事ができる。田舎あるある。

田舎あるあると言えば、久しぶりに人の噂を聞いてイヤになった。田舎に住んでいる以上その行動は絶対噂になるな、という行動を本人がしているので、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。でもやっぱり良い気はしない。こうやって近隣の目があるから、田舎には変な奴がそこまで現れないという利点もある。でも私も若い頃は噂の中心になった事があり、嫌な目にも遭っているので、なんかやっぱりイヤだった。噂を広める人が一番理解できない。噂を聞いてもそこで止めれば良いのにな。悪口も添えて爆速で広める人が必ずいる。そんな人は私の人生に責任を負ってくれるわけじゃないので、知らんぷりするようにしている。

もう15年以上経つ友人に会い、懐かしい話に花を咲かせた。その友人はしょっちゅう東京に来るので東京でも会っているが、なんだか離れて住んでいるのが悲しくなった。私が地元にいたらもっと一緒にいられるのにと思った。東京に来るまでは、夏は毎年一緒に海に行っていた。なのに私が地元を出てしまったせいで、それももう出来ない。冬は一緒にスノーボードをしていたし、地元に近い温泉にもよく行っていたし、サップをしたり、川で遊んだり、山の中にあるバッティングセンターに行って、次のバスを1時間待ったり。そういうまったりした行動が一緒に出来ない。東京ではお金を使ってレストランに行ったり遊園地に行く。遊び方も変わったな。でも私はまだ自然の中でまったり遊びたいな、なんて思った。

大好きな母方の祖母の家にも行った。私は祖母に育てられたと言っても過言ではないほど一緒にいたので、休みは必ず行く。今回のお盆は具合悪いから来るなと言われていたが、ちゃっかり行った。母曰く、私が行くと祖母は元気なふりをしているそうだ。もしかして元気なふりをしてしまうから具合悪くなるのかな・・・?とか思ったが、私のわがままで会いに行った。ウクレレをおばあちゃんに披露して、地図を広げて住んでいる場所のことや旅行に行った場所の話をした。でも、夏の雨がザーッと降ってくると「あんたのママ心配するから帰れ」と言われて帰された。東京のお土産を一緒に食べられて嬉しかった。帰り道はキレイな虹が見えた。

母を買い物に連れていった。まだ車の運転はできるが、遠くまで運転できるのが私しかいないので、一気に買い物をした。私の買い物にも少し付き合わせたのに、母は遠出が嬉しかったのか、テンションが上がっていた。楽しそうだった。

〜帰省後〜

私が実家を出る日は、毎度母が泣いてしまう。帰りづらいのでやめてくれと言っているが、中々涙を堪えられないらしい。母とは思春期に何度も衝突していて、色々と他にも問題があったりと、全てを許しているわけではない。でも、泣かれると堪える。

夫の家にも最後の挨拶をしに行くと、皆泣きはしないが名残惜しそうにする。ボケた夫のおばあちゃんも「実家も良いけどオラの家にも泊まってけ〜」とか言ってくれたりする。

実家に住むのは殺伐とした雰囲気に耐えられないのできついが、生まれ育った土地に自分のプライベート空間が欲しいなと思った。夫もそれには同意していたので、いつか地元に帰るために資金を貯めたいと思った。どうしてもその土地に帰りたいのは一体なんなんだろう。どうせ地元に住むことになっても、田舎だから噂話にも付き合わなきゃならないし、文句を散々言いながら親の介護をすることになる。なのになぜか帰りたい。

こうして10日間に及ぶお盆休みが終わった。

東京に帰ってきて、一番やばい事がある。
仕事の事務所の人の名前、忘れている。

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