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ありすぎて、なにもない。なんにもないけど、ここにある。
コンビニに行けば、生活に必要なものは一通りそろう。
100円ショップに行けば、あらゆるものが破格の値段で手に入る。
ユニクロに行けば、いいものが安く手に入る。
お金を出せばほとんどのモノが手に入る。
車も、土地も、バッグも、靴も、家も、食べ物も、友達も恋人も(真実の、とは違うかもしれないが)
お金さえあれば。
でも、なんでも手に入るのに”心が満たされない”ということはないだろうか。
わたしが小さいころに比べ、手に入るものは明らかに増えた。
技術も進歩し、小学生ですら携帯電話を持つ時代になった。
こんなにも生活が豊かになっているのに、どこか穴が開いている感覚に陥ることがある。
豊かになればなるほど、お金で手に入るものが増えれば増えるほど、そこに”モノはある”のに、”心にはなにもない”状態になる。
いくらモノがあっても、心が満たされない。
お金で買えるモノが、わたしにとって本当に欲しいもの、ではないのだろう。
心が満たされる瞬間っていつだろう。
早朝の真っ暗闇の中、散歩をしながら考えた。
ふと、空を見上げると満点の星空。
田舎ならではの光景だろう。
しばらく立ち止まってその星空を眺めた。
なんとも言えない満足感。
冬の冷え切った暗闇の中、光り輝く無数の星。
お金で買えないものの中に、”満足”が存在した。
世の中にはモノがありすぎる。
それもほとんどがすぐに手に入ってしまう。
買えば買うほどさらに欲しくなり、物欲が爆発する。
他の人が持っている高級なもの、新作、様々なものが目に入る。
しかし、買っても買っても満足できない。
「ものはあるのに、心にはなにもない」
現代人の、特に都心部の人の抱える問題の一つじゃないかな。
なにもない田舎で、最低限の生活をし、夜空を眺める。
たくさんの自然に触れる。
ご近所さんと話をする。
「なにもないところに、たくさんの感動が転がっている」
人は、お金で買えるモノがすべてではなく、お金で買えないモノを本当は欲してるんじゃないかなと思う。