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米津玄師「海と山椒魚」 嵐にひるむ俺はのろまな山椒魚だ

※先に「花に嵐」を読んでから、こちらに戻ってきてください。

「山椒魚」と言えば、井伏鱒二。ただ、「海と山椒魚」に出てくる「俺」には、小説に出てくるような山椒魚の傲慢さは全く感じられない。
「海と山椒魚」と「花に嵐」は井伏鱒二でつながっているのに加え、「嵐」という言葉を両方の歌詞に入れることで、米津さんは関連付けてくれているように見える。

「岩屋の陰に潜み あなたの痛みも知らず
嵐にひるむ俺は のろまな山椒魚だ」

この一文には大切なことが書かれています。

「嵐にひるむ俺」

前回の「花に嵐」の考察で、「嵐」を「いじめ」と捉えました。
この「海と山椒魚」は、「花に嵐」のその後を描いているように思えませんか?

「海と山椒魚」はアルバム「YANKEE」の8曲目。「花に嵐」の次の曲です。

「海と山椒魚」では、「花に嵐」に登場していた「私」は既に亡くなっているようです。

「みなまで言わないでくれ 草葉の露を数えて
伸びゆく陰を背負って あなたを偲び歩いた」

草葉の露・・・。もう、あなたは、亡くなってしまいました。「花に嵐」からの流れで考えると、いじめを苦にした自殺か。

「2人で植えた向日葵は とうに枯れ果ててしまった
照り落ちる陽の下で 一人夏を見渡した」

「あなた」と「俺」で植えたヒマワリ。何かのメタファーになっているのでしょうか?

「今なお浮かぶその思い出は どこかで落として消えるのか」

何かを悔いているような雰囲気が漂う。「消えるのか?」という自問には、「消えない」という答えがつきまとう。決して忘れられない。

「あなたの抱える憂(ゆう)が その身に浸る苦痛が
雨にしなだれては 流れ落ちますように
真昼の海に浮かんだ 漁り火と似た炎に
安らかであれやと 祈りを送りながら」
「みなまで言わないでくれ 俺がそうであるように
あなたが俺を忘れるなら どれほど淋しいだろう」

亡くなった「あなた」を鎮魂しています。

「岩屋の陰に潜み あなたの痛みも知らず
嵐にひるむ俺は のろまな山椒魚だ」

いじめられ、苦痛にゆがむあなたの痛みを完全には支えきれず、「嵐=いじめ」にひるんだ俺。
「花に嵐」で、「私」は「あなた」が助けに来てくれることを期待し、心の底から願い、頼っていたように読める歌詞があった。
現実には、「海と山椒魚」の「俺=花に嵐の『あなた』」はひるんでしまった。逃げてしまった。嵐の中を進めなかった。

「こぼれありぬこの声が 掠れ立ちぬあの歌が
風にたゆたうなら あなたへと届いてくれ
さよならも言えぬまま ひとつ知らせも残さずに
去り退いたあなたに 祈りを送りながら」

何も言わず、命を絶った「あなた」に「あの歌」が届きますように。
あの歌って何?ここは、よく分かりません。さよならも言えなかった。ただただ、祈ることしかできない。

「青く澄んでは日照りの中 遠く遠くに燈が灯る
それがなんだかあなたみたいで 心あるまま縷々語る」

縷々(るる)は「こまごまと」という意味。

「今なお浮かぶこの思い出は どこにも落とせはしないだろう」

あなたとの思い出は、決して忘れることはできない。

なんとも悲しい。
寂しすぎる「花に嵐」「海と山椒魚」ではないでしょうか。

「井伏鱒二つながり」「歌詞の『嵐』つながり」「アルバムでの2曲並び」

米津さんのとんでもない作詞能力と構成力に圧倒されます。本当に恐ろしい力ですね。

過去のセトリで、この2曲が同時に歌われたライブは一度も見当たりませんでした。どちらも、とっても好きな歌なので、いつか、2曲並びで聞いてみたい。

でも・・・。黙祷しながら、聞けばいいのだろうか。

トラジロウ 2022年10月26日

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