米津玄師「海と山椒魚」 嵐にひるむ俺はのろまな山椒魚だ
※先に「花に嵐」を読んでから、こちらに戻ってきてください。
「山椒魚」と言えば、井伏鱒二。ただ、「海と山椒魚」に出てくる「俺」には、小説に出てくるような山椒魚の傲慢さは全く感じられない。
「海と山椒魚」と「花に嵐」は井伏鱒二でつながっているのに加え、「嵐」という言葉を両方の歌詞に入れることで、米津さんは関連付けてくれているように見える。
この一文には大切なことが書かれています。
前回の「花に嵐」の考察で、「嵐」を「いじめ」と捉えました。
この「海と山椒魚」は、「花に嵐」のその後を描いているように思えませんか?
「海と山椒魚」はアルバム「YANKEE」の8曲目。「花に嵐」の次の曲です。
「海と山椒魚」では、「花に嵐」に登場していた「私」は既に亡くなっているようです。
草葉の露・・・。もう、あなたは、亡くなってしまいました。「花に嵐」からの流れで考えると、いじめを苦にした自殺か。
「あなた」と「俺」で植えたヒマワリ。何かのメタファーになっているのでしょうか?
何かを悔いているような雰囲気が漂う。「消えるのか?」という自問には、「消えない」という答えがつきまとう。決して忘れられない。
亡くなった「あなた」を鎮魂しています。
いじめられ、苦痛にゆがむあなたの痛みを完全には支えきれず、「嵐=いじめ」にひるんだ俺。
「花に嵐」で、「私」は「あなた」が助けに来てくれることを期待し、心の底から願い、頼っていたように読める歌詞があった。
現実には、「海と山椒魚」の「俺=花に嵐の『あなた』」はひるんでしまった。逃げてしまった。嵐の中を進めなかった。
何も言わず、命を絶った「あなた」に「あの歌」が届きますように。
あの歌って何?ここは、よく分かりません。さよならも言えなかった。ただただ、祈ることしかできない。
縷々(るる)は「こまごまと」という意味。
あなたとの思い出は、決して忘れることはできない。
なんとも悲しい。
寂しすぎる「花に嵐」「海と山椒魚」ではないでしょうか。
「井伏鱒二つながり」「歌詞の『嵐』つながり」「アルバムでの2曲並び」
米津さんのとんでもない作詞能力と構成力に圧倒されます。本当に恐ろしい力ですね。
過去のセトリで、この2曲が同時に歌われたライブは一度も見当たりませんでした。どちらも、とっても好きな歌なので、いつか、2曲並びで聞いてみたい。
でも・・・。黙祷しながら、聞けばいいのだろうか。
トラジロウ 2022年10月26日