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フジファブリック「タイムマシン」 誰か僕に 誰でもいいよ 優しくしてくれないかい

アルバム「クロニクル」(2009年5月リリース)の13曲目。

この曲がとても好きだ。

フジファブリックらしさとか、バンドらしさからは少し離れている曲。
ボーカルであり、作詞作曲を手掛けた志村正彦さんのその後の行く末を知っていれば、この曲の持つ意味は聞く人の心にぐさりと刺さるのではないでしょうか。

このアルバムをリリースした7カ月後、2009年12月24日が志村さんの命日だ。わずか29歳。

この時点で、私はフジファブリックというバンドの存在を知らなった。もちろん、この歌も知らなかった。

2015年ごろ。近所のTSUTAYAでたまたま手に取ったのが、フジファブリックのベストアルバムだった。特集をやっていたのかな。何気なく手に取ってレンタルした。

「虹」「若者のすべて」「陽炎」「赤黄色の金木犀」で完全に脳をやられて、全アルバムを聴いた。

あまりにもハマりすぎた当時40代前半の私は近くにいる若者に「フジファブリックを知っている?」と確認し、「知らない」と答えた若者に音源をコピーして配布するという布教活動を始めてしまう。

でもそのおかげで、運命的な出会いに恵まれる。職場に熱烈な「フジファブリック」ファンが2人いることを人づてに教えてもらう。

志村さんが亡くなったことを知った日の夜、その2人は、一晩中、フジファブリックカラオケをして追悼したのだとか。

2人は、志村さんが健在のころのライブにも足を運んだ経験があるそうで、頼み込んで一緒にカラオケに行ってもらい、いろいろと話を聞かせてもらった。だいぶ年の離れたおじさんにフジファブリックについて延々聞かれるという謎の体験をさせてしまった。ごめん。

そのあと、私は夏休みに、富士吉田市まで車で行き、志村さんの墓参りをしたり、「浮雲」に出てくる「登ろういつもの丘に」の丘に行ったり、亡くなった志村さんへのストーカー行為のようなことをしていたなあ。もちろん、吉田うどんも食べたし。懐かしい。また行きたいな。

「タイムマシン」。
亡くなる1年ほど前に志村さんがつづったのだとすれば、あまりに運命的というか。まるで、亡くなることを分かっていたかのようにさえ聞こえてしまう。

「戻れるのかな タイムマシンのように 同じように 笑えるかい」

この曲を聴くたびに、涙がこぼれそうになる。合掌。

2022年6月15日 トラジロウ

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