米津玄師「かいじゅうのマーチ」 少しでもあなたに伝えたくて 言葉を覚えたんだ
米津玄師さんのアルバム「BOOTLEG」(2017年11月1日リリース)の6曲目。
語り口がとても柔らか。誰かに優しく語りかけているような雰囲気に癒やされる。
曲調は童謡のような温かさにあふれている。
個人的な類型では、「あたしはゆうれい」(Bremen)とか、「メランコリーキッチン」(YANKEE)、「トイパトリオット」(diorama)の流れをくむと勝手に思い込んでいる。この3曲ほどユーモアを携えた歌詞ではないけど、曲名を「かいじゅうのマーチ」とする余裕に感服する。それでいて、誰かを大切に思っていることを真っ直ぐに歌詞に載せた曲に仕上げている。
歌詞の中に明確に登場するのは「あなた」と「僕」だけ。
米津さんの歌詞で、私が解釈を試みて、いつも問題になるのが「あなた」と「僕」の関係性です。
いくつかのケースを考えてみました。
1.「僕=子ども」「あなた=母親」
2.「僕=1人の人間」「あなた=愛する誰か」
3.「僕=日本人」「あなた=外国人」
4.「僕=地球人」「あなた=宇宙人」
5.「僕=1人の人間」「あなた=友人」
6.「僕=人」「あなた=異世界の住人」
歌詞の一番最初です。この歌詞を読んで、どのケースがもっともしっくりきますか?
私の場合、この部分だけなら、圧倒的に「1の子どもと母親」がぴったりに思えます。
母親なら、息子にこんなことを言われたら、それだけで、泣いちゃいませんか?
このあたりの歌詞になると、「1・子どもと母親」説が微妙にあやしくなってきます。でも、小さい子どもはここまで明確な発言はしないけど、子育てに迷い、苦しみ、悩んでいる母親にとって、息子はこれぐらいの歌詞の内容を満たしてくれるぐらいの希望を与えてくれるのではないかしら?
どうでしょう?
ちょっと無理かなあ。
あ、「友達」って言い切ってる。母子説はここで、頓挫したか?でも、友達のような関係の母子もたくさんいるよね・・・。
このフレーズの解釈って、あまりにも痛々しい。
「泥だらけのありのまま」→「本当の自分」
このままでは「生きられない」
→「だから、(本当は、泥だらけの自分を見てもらいたいけど)愛と歌うよ。あなたと一緒にいるために」
もしかしたら、こういう意味じゃないのかもしれないけど・・・。
本当は「愛」をきれいに歌うことは本意じゃないのかも???
米津さんのありのままって、何なんだろう?
ああ、こんな表現が成り立つんだね。
「人を疑えない馬鹿じゃない」を前に置くことで、「信じられる心」の強靭さをを高めるなんて。
邪道に思えるけど、痛々しさも包含しながら、ものすごく強い信頼を表現し尽くしている。
ものすごい日本語を紡ぎ出すものだ。
「僕」と「あなた」の関係は完全には明らかにできませんが、聴く人それぞれの「僕とあなた」で、きっといいのだと思います。
そういう優しい歌になっているのでしょう。
2022年10月13日 トラジロウ