Ado「ギラギラ」
この曲の歌詞が好きだ。
Adoさんが「うっせえわ」「レディメイド」の次に3曲目としてリリース。Youtubeで聞いて、衝撃を受けた。
Adoさんの歌い方も秀逸だが、やはり歌詞だろう。
この曲の作詞・作曲は「てにをは」さん(別名・織川制吾となっている)。
この曲の何が好きなのだろうかと考えてみたところ、答えは「残酷さ」だろうか。
たぶん。
最近、ルッキズムという言葉をよく聞くようになった。ウィキペディアによると、ルッキズムとは「外見に基づく差別、偏見」。あるいは「外見至上主義」「外見を重視する価値観」の意味でも使われるそうだ。
うーん。でもなあ。なんて言えば、いいのだろう。
この言葉を聞くたびに、思うことがある。
差別や偏見はもちろんいけないのだけど、「なんかきれい事だよな・・・」って頭で思ってしまう。
たとえば、企業がCMに利用するのは、その会社のイメージに合う「ルックスのよい子」である場合がほとんど。なんだかんだ言っても、それは厳然たる事実で、昔から、ずっとそう。別に「きれいな子をきれいだと思う」というそれぞれの価値観は否定される必要がないと思う。
全員平等じゃないと、という違和感がとても気持ち悪い、今日このごろ。
この曲が伝えようとしている意味を簡単に言えば、「私の顔は醜い。でも生き抜く」みたいなことではないかしら。
もしかしたら、この「生き抜く」感が好きなのかなあ。まだ、自己分析ができていない。
歌詞を見ていく。
「今日もまた 己の醜悪さに惑う
だのに人を好きって思う気持ちだけは
一丁前にあるから悶えてるんでしょう」
なんか、怖い。そんなに追い詰めなくても・・・。
「正直言って 私の顔は そう神様が左手で描いたみたい
必然 この世にあるラブソングはどれひとつ
絶対 私向けなんかじゃないでしょう」
左手って・・・。なんだかとても残酷な表現。
「愛されないぐらいなんだ」
「孤独は燃料」
この強さが、好き。
最後は
「Give Love 花は満ちて
ありのままじゃいられない 誰も彼も
なんて素晴らしき世界だ ぎらついてこう」
で締めくくっている。
もしかして、ギラギラって、「Give Love(ギブ・ラブ)、Give Love(愛をくれ)」という叫びなのかしら・・・。
とっても恐ろしくて、とっても好きな歌。
2022年8月25日 トラジロウ