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寺田和代【Book Review】ギッシング『南イタリア周遊記』小池滋訳、岩波文庫
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「本と歩く アラ還ヨーロッパひとり旅」
第4回 イタリア・プーリア州篇【Book Review】〔1〕
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◆ ギッシング『南イタリア周遊記』小池滋訳、岩波文庫、1994年2月
この作品で初めてその名を知った著者ジョージ・ロバート・ギッシングは1857年生まれのイギリス人作家で、邦訳されたのは本作のほか『ヘンリ・ライクロフトの手記』『ギッシング短篇集』があるだけ。もともと寡作で体が弱く、46歳で人生を終えるまで貧乏と病気に苦しんだ彼が、生涯愛してやまなかったのが旅と古典文学だった。
子ども時代から憧れた古典文学、とりわけその故郷であるギリシャとイタリアへの思いは強く、文学を通してこれらの地を夢見ることが一生の習い性だったそう。
本書は生涯に3度旅した憧れの地、南イタリアを最後に旅した1897〜98年(亡くなる5年前)の記録をまとめた紀行文。
本をお供にただ一人、風と気の向くまま馬車や徒歩、当時は限られた区間にしかなかった汽車で旅するスタイルに自分との共通点を感じて嬉しくなるけど、教養人である著者の旅荷に詰め込まれていたのはギリシャ語、ラテン語、イタリア語の古典。随所にある引用や、古代の詩人の言葉に自らの感慨を重ねた記述に差しかかるたび、自分までちょっぴり高尚な人間になったように感じるから不思議だ。
高尚でありながら、師(著者)の傍らでともに旅をしているよう臨場感と楽しさが続くのは、冴えたユーモアと一切の遠慮や逡巡を排した辛口な表現ゆえ。なにせ南イタリアを“未開の地”と言い放ち、住民は“むき出しの野蛮状態”、世話になった宿の女性を「宿でいちばん原始的な人間である。いつも汚いぼろをまとい、垢だらけで、でぶでぶして、黒い髪はぼさぼさ(中略)見たこともないほど兇暴な目をしている」(抜粋)と描くのだ。それでも、旅路の途中で病気になった著者を看病する彼らへの眼差しには感謝と敬意が満ちている。根底には常にこの地への憧憬と畏怖がある。
旅の終わり、思うに任せない現実の中で、旅と古典に生きる人生への愛惜を抱きしめる著者の姿に、スケールやレベルはだいぶ違っても自らの実感を重ねずにいられなかった。誰に認められずとも、ひとりでずっと続けられる好きな何かを持つことこそが、生涯にわたって人を支えてくれるのだ。
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