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野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第三話 只野真葛(ただの まくず)(9)

(↑ 真葛のお墓がある仙台市の松音寺*)

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9


   真葛『独考』を脱稿したのは、文化14年(1817)12月1日。
翌年2月に序文を書き、曲亭馬琴に送ったのはその翌年である。
原本の現存は確かめられていないが、
(1)『独考抄録』3巻の写本(馬琴による写本がもと)、(2)『ひとりがんがへ』(只野家蔵の写本で抄録上巻とほぼ同じ内容)、それに(3)馬琴の書いた『独考論(独考といふふみのあげつらひ)』(『独考』全編にわたる詳細な反駁文)という3つのテキストなどをもとに、その全体像をうかがい知ることができる。

滝沢馬琴「独考論 独考といふふみのあげつらひ」
国書刊行会 編『新燕石十種』第2,国書刊行会,明治45-大正2.
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1088306/1/178

「考へ」という語は「かむかへ」からくるというのが、真葛の愛読した本居宣長の説である。つまり、「かれとこれとをあいむかえて思いめぐらすこと」(「玉かつま」)。
『独考』は、長く自分の心を占めてきた三つの疑問と少女時代に立てた三つの志を掲げ、「あいむかえて思いめぐらす」自問自答の形で書き起こされている。
 なぜ人によって月の大きさが違ってみえるのか。なぜ歌舞伎や浄瑠璃で演じられる女形の振る舞いはピンとこないのか。なぜ妾のために家のわざわいが起こるのか。
この三つの疑問の冒頭での提示は、あらゆる問いは権威や常識ではなく、誰もが納得しうる論理によってその答えが探られなければならないという、真葛の信念に裏づけられている。

 三つの志(女の本、経世済民、さとり)については、のちに馬琴に書き送った「とはずがたり」のなかに一つの注釈がそえられている。

「何のために生まれ出づらん。女一人の心として、世界の人の苦しみを助けたくおもうことは、なしがたきの一番たるべし。是をうたてしくおもう故に、昼夜やすき心なく、苦しむぞ無益なり」。

儒学はこういう人間をも「女子と小人」と一括りにし、視野の外に排除する。現に自分も学習を禁じられた。
だがそのことは逆に、既存のイデオロギーにしばられない自由な思索を可能にする条件ともなる。どこかで父は、暗にそのことを教えようとしていたのかもしれない。

「真葛、唐文よむことをとどめられて不自由なる事、いくばくといふ事なければ、父の心むけにさへ、うらめしく思ひす事も有き。今おもへば、唐心に落いらで有し故、かゝる事も考伝られし。さて、父のたふとさもおもひ知られき」。

 『独考』の根本主題は、儒教の批判と、その狭さを克服しうる普遍的な考え方の探求であり、その要をなすのが〈天地の拍子〉の論である。

 ――聖賢は確かに人の道を説くが、その道は実際に誰もが歩ける道とはいえない。無理にその道を歩こうとして不幸になる者もいる(たとえば元輔)。聖賢の書が読めるかどうかは、人間にとって第一の問題ではない。人は誰でも、自分の一生が有限であることを知る。そのなかで精一杯生きようとして天地にむかって呼びかければ、天地もある仕方で反応してくれることがある。その反応を好機ととらえ、人が呼応することができれば、そこには一種の拍子が生じ、聖賢の道よりも広く深い、もう一つの道がきりひらかれることになる(たとえば真葛の体験。博打うちでさえその道を知ることができる)。

誰にとってもそうだろうと、私のなかで動かしがたく感じられるもの。それは聖賢の教えではなく、めぐる昼夜の数と、心の浮き立つ天地の拍子である。それを感じとる力において、世の学者たちは役者や博徒にすらおよばないのだ。

東北大学構内。このあたりが只野屋敷か*

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