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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」08 金鶴泳(きんかくえい/キムハギョン)(その7)
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金鶴泳──不遇を生きた在日二世作家(その7)
7.激動する政治に翻弄される
1973年、生活のため2月から統一朝鮮新聞社(後の統一日報社)に勤務することになる。この新聞社は政治的に韓国政府系の企業だった。
5月、統一運動家の鄭敬謨(チョン・ギョンモ)、戦前からの知識人で『コリア評論』主筆だった金三奎(キム・サンギュ)らと会う。さまざまな政治的立場が輻輳して、うんざりする。
政治など下らない、政治にとらわれるのは下らない、金に捕らわれるのも下らない。芸術はそれを乗り越える、と考えた。
8月8日金大中(キム・テジュン)拉致事件が起きた。民主派の政治家で朴正熙韓国大統領の政敵だった金大中が、韓国中央情報部 (KCIA) によって東京都千代田区のホテルグランドパレスから拉致されて、ソウルで軟禁状態に置かれた事件だ。
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原典:서울역사박물관(ソウル歴史博物館) - 서울역사아카이브(ソウル歴史アーカイヴ)
/KOGL Type 1/Kim Dae-jung in 1970.jpg
1974年8月15日、光復節の祝賀行事中に在日韓国人青年文世光(ムン・セグァン)によって狙撃され、朴正煕の夫人、陸英修(ユク・ヨンス)が射殺された。
この年9月末から民団関係者らと韓国訪問。2度目だ。統一日報の人と痛飲した。ソウル、釜山、大邱などを巡る。
「石の道」が第70回芥川賞候補、「夏の亀裂」が第71回芥川賞候補になり、年末に単行本『石の道』が河出書房新社から発行された。収録作品は「石の道」「仮面」「夏の亀裂」の3作。
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1975年、書けないで疲弊し酒を飲むばかりだ。出版社からの電話に度々居留守を使う。
9月12日、韓国大使館の朴参事官らと会食し、恋愛小説を書かないかと誘われる。朴参事官に連れられて世田谷の西部さんという女性を訪ねる。「沢本スパイ事件」の当事者だった。
「沢本スパイ事件」とは、植民地時代に朝鮮北部に生まれ、のちに日本に帰化した沢本三次さんが、生き別れた親族に会いたいという思いから北朝鮮に渡り、北朝鮮当局と関係をもったことで北のスパイとされ、韓国に摘発された事件だ。
西部さんは沢本氏の20数年来の愛人で、50歳前。逮捕以来、正妻は冷淡だったのだが西部さんは毎週獄中の沢本さんに手紙を書いていた。韓国大使館の朴参事官がこの話を小説にできないかと金鶴泳に持って行ったのだった。
12月、沢本事件の取材で韓国訪問。費用は統一日報社が持った。情報部員が案内する車で大田矯導所を訪ね、沢本三次氏と面会し、西部さんからの手紙を渡す。
情報部員の案内で扶余などを見学するも、彼ら情報部員たちを見ていて気が滅入った。バカで低級で奸智だけは人一倍働く種類の下らない人物にしか思えなかった。
帰国後は韓国大使館に帰国挨拶に行く。
家にはまったく金がなかった。
1976年6月、父から毎月10万円送ってくれることになった。
この頃、父の母に対する不満や苛立ちが、ほとんどそのまま自分の妻に対するそれと同じだと気づく。
「父も私も神経的に癇性な人間だ。」
12月27日、朴大統領の特赦によって沢本三次さんらが釈放され帰国の一報が入る。西部さんと羽田に迎えに行った。
この年、『文藝』11月に発表した「冬の光」が芥川龍之介賞候補作となったが受賞は逃した。
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国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/7926835
1977年2月、父が送金を20万円に増やしてくれた。安堵するが、内心穏やかではなかった。父は金鶴泳に思想の変更を迫り、子どもを「総連の学校」に入れるように強要してくるからだ。
1978年、『文学界』6月号に発表した「鑿」が芥川賞の候補になり、9月単行本『鑿』が発行された。収録作品は「あぶら蟬」「月食」「冬の光」「鑿」の4作。
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しかし生計は改善されず、朝も昼も夜も酒を飲み、体調悪く、死について考える日が続く。
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*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。
◆参考文献
◆著者プロフィール
林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!