とらぶた自習室(6)勉強メモ 野口良平『幕末的思考』第1部「外圧」第4章-2前半
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筆:栗林佐知(けいこう舎)
2023年1月25日読
野口良平『幕末的思想』第一部「外圧」
第四章「変革の主人公とは誰か」-2の前半
野口良平『幕末的思考』第1部「外圧」 第4章「変革の主人公とは誰か」-2のさらに半分(前半)の、内容メモ(自分の受け取り方)と連想脱線です。
■ 内容メモ① 2つの問い
軍艦で押し寄せられ開国を迫られた、幕政下の日本列島。
いったいどうしたらいい?
“暗闇の中で困難に遭ったとき、人間の考え方は2つの方法をとりうる”と、加藤典洋氏は言っているそうだ。
まず初めに、自分の手持ちの考え方、法則によって物事を解決していこうとする「内在」の思考(思考方法)。 もう一つは、出会った外側の状況に合わせて考え方や方法をつくっていく「関係」の思考(思考方法)。
しかし、幕末の人たちには、“外側の状況”についての情報がなかった。「内在」の思考法しか方法がない。
まずは勇敢な「内在」思考の勇士が、暗やみの中に突撃してゆき、闇の中にでーんと構えていた壁にどかん! ぶつかって、みんなに「どのあたりにこんな壁がある」ということを知らせる。
そこから「関係」の思考を始められる。
《外部の情報を絶たれた「内在」という条件のもとでは、そこから導かれる思考を愚直に貫く者が「壁」にぶつかることによって「転轍」を経験し、他とは異質な仕方で「関係」の思想に目覚め、「内在」のみの思考を克服しうるというのである(59))》p67(加藤氏の言説を紹介した文)
次に、“外側”の様子がわかってくると、このまま指針として抱えて突き進むわけにはいかなくなった「内在」はどうなる?
《 ではその時、思考の起点としての「内在」の思想がいったん切断されると、それはどこに行くことになるのか。(略)それが加藤の提出している第二の問いである。》p67
大日本帝国は、「関係」の思考だけで動いていったんじゃないか。
でかい軍艦を造るやつらの軍事力、軍隊の秘密、アジアアフリカの人たちを植民地にするやり方。「関係」の思考で強い奴らのマネをして、日本帝国は、軍事国家、植民地主義に突き進み、アジアに多大なご迷惑を及ぼした。
この第二の問いもしっかり引き受け、《その答えを暗中模索せざるを得なかった》人びとの代表として、2人の草莽の志士、坂本龍馬と中岡慎太郎があげられている。
■ 内容メモ② 中岡慎太郎すごい!
中岡慎太郎は、ドラマなどでは坂本龍馬のツマみたいな感じで出てくるのを目にするばかりで、どういう人かぜんぜん知らなかった。
スゴイ人だ。田中正造みたいな、と著者がyou tubeでおっしゃっていたような……
龍馬が、身分は低い(郷士)が裕福な家の末っ子として育ったのにくらべ、中岡慎太郎は大庄屋の家に生まれ、飢饉、疫病流行に悩まされる農村経営の現場に育ったそうだ。
《飢饉の際、奔走して薩摩芋を入手したが足りず、貯蔵米の官倉を開く必要に迫られた。意を決して高知に出て、家老の役宅を訪ねたが相手にされない。門前に端座して一夜を明かした中岡の姿をみた家老は、いたたまれずに官倉を開けたという。(60)》 p69
なんて偉いんだ! この家老もえらいなあ。 事なかれ主義の人だったら、「どけどけ~」といって水かけそう。
それに、中岡の座し方にも説得力があったのだろうなあ。自分だったら「しっしっ」と言われて水かけられただろうなあ。
中岡は、こうして庄屋の仕事をしながら、間崎滄浪(哲馬、1834~1863)*という人に学問を習い、武市半平太に剣術を学ぶ。*この間崎滄浪という人は、尊皇攘夷なんだけど海外についての知識も豊富な人だったそうだ。し、しかし、1834年に生まれて62年にしんでるって、めちゃ若くないですか!? ありえない……なにそれ
で、坂本龍馬も中岡慎太郎も、武市半平太の作った「土佐勤王党」というのに入る。武市半平太は、江戸で、長州・水戸・薩摩の同志と連繋していた人。土佐藩の藩論を「尊皇攘夷」でまとめ、天子と藩主(山内容堂)に忠誠をつくすために「土佐勤王党」を作ったとか。
土佐勤王党の盟約書には 《「上は大御心をやすめたてまつり、わが老公〔注・容堂〕の御心をつぎ」としたうえで、「下は万民の憂ひを払わんとす」》 とあり、これは中岡の志にかなうものだったと。
■内容メモ③ 事態はどんどん血みどろに
で、武市半平太なのですが、この人、乱暴やねー。
むむむ、なんか物騒な感じになって、事態が錯綜してきます。
目が回る~
武市は、坂本龍馬を長州に送って、久坂玄瑞らと連繋を取らせたのだけど、久坂たちが「藩の枠を越えていっしょにやろう」というのと違って、武市は「土佐藩を勤王党でまとめる」というのにこだわった。
それで、「なんか違う~」と、離脱する人も出てきた。
吉村寅太郎という人も、武市たちを離れたその一人。 この人は「直接的討幕運動」(これも私にはよく想像がつかない、こんなことが出来そうに思えたのね)を志して、後に「挙兵」して、負けて死んでしまうそうです。
で、武市はどんどんその道を進み、富国強兵策を掲げて藩政を司っていた吉田東洋と対立し、なんとまあ! 吉田東洋を暗殺して、反吉田派の人たちと藩政権をとってしまう。
さらに武市は、京で、尊皇攘夷派の公家たちと連絡して、いっぱい「天誅!」で人を殺したりして朝廷を動かし、朝廷から幕府へ「攘夷をすすめよ」という勅使を出してもらう。でもこれは、孝明天皇の意志じゃなかったそうだ。
孝明天皇といったら、「日本が真っ黒焦げになっても、最後の一人になるまで夷狄と戦う」とか言ってたファナティックな人と思ってたけど、そうじゃないみたいだ。
なんかもうあっちでもこっちでもぶっそうなことがおき、わけがわからなくなってゆく。
第4章-2の後半は、また次に。
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第四章-2後半、-3
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