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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」08 金鶴泳(きんかくえい/キムハギョン)(その6)
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金鶴泳──不遇を生きた在日二世作家(その6)
6.韓国籍を取得
1971年1月韓国籍と協定永住権取得を申請し、翌72年4月許可された。
市役所に申請に行ったさい、総連系の活動家が数人いて金鶴泳の韓国籍を取得を阻止しようとした。喫茶店で2時間議論した。これで群馬の父にも知らされてしまう。
ここで言う「協定永住権」とは1966年6月22日に結ばれた「在日韓国人の法的地位協定(日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定)」のことだ。
この「協定永住権」の適用範囲は戦前から引き続き日本に滞在している者と、その直系被属として1945年8月16日以後この協定の効力発生の日から5年以内に日本国で出生し、その後申請の時まで引き続き日本国に居住している者が該当する。
この協定永住によって韓国籍を取得すると国民健康保険加入が可能となった。そのためもあり総連系の住民も多くが韓国籍取得に動いた。
水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』岩波新書によると、この申請期間中に朝鮮籍保持者の数が5万6千人近く減少している。金鶴泳もそのうちの一人だ。
この間に「錯迷」(『文藝』1971年7月)、「あるこーるらんぷ」(『文藝』1972年2月)などを発表したが、金鶴泳家族の生活は苦しかった。蔵書を売り、妻の指輪も質にいれてしまい、生活は窮地に追いやられていた。
1972年1月、李恢成が芥川賞を受賞し、2月の授賞式に金鶴泳も出席した。その晩、金達寿、金石範、金時鐘、高史明らと深酒して未明に帰る。
金がないのに酒が止められなくなっていた。
金の工面に出かけても酒に飲まれて朝方帰る始末だった。神経衰弱気味で神経安定剤も服用していた。
5月初めて韓国を訪問した。同行者は安宇植や民団関係者など総勢5名。案内人は中央情報部から派遣されている。
詩人の毛允淑(モユンスク)の宅で韓国の文人たちとの懇談会に臨んだ。毛允淑は国際ペンクラブの韓国本部副委員長、国会議員、韓国現代詩協会長などを歴任した植民地時代からの大物文人で、後に「親日反民族行為者」に認定された人物だ。
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撮影:Cpl. Robert Dangel. (Army)、1950.11.08/
パブリックドメイン/原典: http://www.dodmedia.osd.mil/DVIC_View/Still_Details.cfm?SDAN=HDSN9903141&JPGPath=/Assets/Still/1999/DoD/HD-SN-99-03141.JPG
(1950年11月8日。北朝鮮軍に捕らえられ、どのように逃げてきたかを語っているところ)
このとき韓国では軍事クーデターで実権を握った朴正熙(パク・ジョンヒ)が、前年4月27日の大韓民国大統領選挙で金大中(キム・デジュン)を破って三選し第7代大韓民国大統領に就任していた。
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(1961年、5.16軍事クーデタのときの写真)
原典:(撮影?)キム・ジョンギル- http://photo.chosun.com/site/data/html_dir/2016/06/08/2016060801636.html /
パブリックドメイン、トリミング
7月『新鋭作家叢書 金鶴泳集』(河出書房新社)が発行され、「凍える口」「弾性限界」「錯迷」「一匹の羊」が集録されたが、さほど注目されなかった。
本屋に入ると李恢成の本は数冊置いてあるのに、自分の本は見当たらない。芥川賞でも貰わないとダメだと思った。
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9月には麻雀荘の経営権を譲ってくれるという話があり、とりあえず働いてみるが、まったく儲からないことが分かったので1ヶ月でやめた。
この頃、常に何かを書いていなければ書けなければ死ぬよりしかたないという気になっていた。妻と死ぬことを話し、妻は泣いた。
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*ヘッダー写真:朝鮮半島(NASA衛星写真)
作成:Jeff Schmaltz, MODIS Rapid Response Team, NASA/GSFC、2003.5.1
原典 NASA's Visible Earth, https://visibleearth.nasa.gov/images/66392/korea
/パブリックドメイン/Korea 2003-05-01 NASA MODIS Terra 250m.jpg
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*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。
◆参考文献
◆著者プロフィール
林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!