野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第二話 高山彦九郎(2)
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高山彦九郎(名は正之)は、延享4年(1747)5月8日、上野国新田郡細谷村(群馬県太田市細谷町)にうまれた。
父は彦八、母はしげ。
きょうだいは、跡取りの兄一人(専蔵)と、妹が二人(いし、きん)。
高山家は、鎌倉武士団の畠山氏の系譜につらなる名家だが、戦国乱世をくぐりぬけるなかで主家を失い、農民になった。
代々名主をつとめていた高山家が、跡継ぎがなく断絶しそうになると、隣家蓮沼家の後継者だった彦九郎の祖父貞正が、望んで母方の高山家を継ぎ、これを再興した。
江戸時代の細谷村は、1つの大名と5つの旗本が分割統治する「相給地」だった。
これは、村を分断し農民たちの団結を防ぐ制度でもある。高山家は、旗本筒井家の支配下にあった。
古きを好み神を崇める貞正は、筒井家、さらにその背後にある徳川政権そのものへの反抗心をたぎらせる誇り高い人物だったので、つねに筒井家から監視され、圧迫を受けていた。だが彦八とその弟長蔵は、その貞正の気風を忠実に受け継ぎ、彦九郎も彼らの影響のもとに成長した。
彦九郎を寵愛した祖母りん(貞正の妻)は、少年彦九郎に『太平記』を教えた。そこには、先祖の高山遠江守重栄が、後醍醐天皇に仕える新田義貞の有力武将として足利軍と奮戦したようすが活写されていた。
――義貞の内に、……高山遠江守……とて、党を結んだる精兵の射手十六人あり。一様に笠(かさ)符(じるし)を付けて、進むにも同じく、引く時もともに引きける。世の人これを十六騎が党とぞ申しける。かれらが射ける矢には、楯も物具も滞らざりければ、向かふ敵を射透かさぬ事はなかりけり。
(『太平記』「箱根軍の事」)
先祖の活躍に感激し、徳川何者ぞという心意気を育みながら彦九郎は、次男の特権を行使し、農作業もせずに剣術と読書に打ち込んだ。
そうしたありかたは、家督を継ぎ筒井家との関係を重んじる立場となる兄専蔵の思惑とは、全面的にぶつからざるをえないものだったのだが。
*ヘッダー写真:高山彦九郎記念館入り口(群馬県太田市細谷町)*
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