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寺田和代「本と歩く アラ還ヨーロッパひとり旅」 第4回 イタリア・プーリア州篇(5)
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(5)16世紀、ノームが住むような家々が建てられたわけ
アルベロベッロを世界的な観光地に押し上げたのは、トゥルッロ(複数形トゥルッリ)と呼ばれる伝統的家屋だ。
この先訪ねるマテーラやレッチェでも頻繁に見かけることになる石灰石に漆喰を塗った家屋に、円錐形の石積み屋根という、まるでノーム(小人)が住むような家が1500軒近く現存するらしい。開墾のために集められた農民が16〜17世紀に建てたものだそう。
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(地図製作:三月社https://sangatsusha.jp/)
パンフレットによると、取り壊しと組み立てが簡単にできる家の由来には2つの説がある。
ひとつは領主の意に沿わない農民への見せしめとして一夜にして壊してしまえるように。
もうひとつはナポリ王国の総督に納める税逃れのため。
家屋数が多いとそれだけ税額も嵩むため、監督官(徴税官)が視察に来る時だけ家屋解体をさせ、一行が去れば元に戻していたという。
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バス停から10分ほどで、2つに分かれた街区の一つリオーネ・モンティ地区を見渡す展望台に着いた。三角錐の屋根が乗った白い家々の連なる景色が目の前だ。
だけど、この時点で心のどこかに早くも “見尽くした” 感が……。
想像を上回らないというか、テーマパークみたいというか。
ともあれスタート地点に着いた安心感から初めて空腹を感じ、まずはなにか食べながら作戦を立てようと店を探したものの、表示された値段の高さにギョッとする。ピザ1切れ、サンドイッチ1つ、ホットドックなどがいずれも8ユーロ(約1300円=2024年10月時点)以上。
そんな金額を支払ってまで食べたくないやという気になり、水500ccボトル3ユーロだけを買う。
どの店も観光客であふれ、店の人も疲れているのか、5ユーロ札を出して2ユーロのお釣りを、一言も、一瞥すらなく、投げるように返された。
なんとなくシラけた気分で白い家々が連なる通りを歩き出したものの、ほぼすべてが土産物店やカフェやギャラリーなどに改築されたトゥルッリから、金を落とすかどうか値踏みされているような圧を感じてしまう。
あらゆる細道に旅行者が入り込み(私もその一人なのだけど)、写真を撮り、子どもたちは飽きて阿鼻叫喚。
トゥルッリとそれが作る街の景観を静かに味わったり記憶に刻みたいのに、まるで縁日の境内。街や人に “出会う” 感覚を持てないまま、もう十分だ、という気持ちになり、ほんの1時間ほどで帰路のバス停に向かった。
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地元の人にすれば、世界中からひっきりなしにやってくる旅行者にこれほど深く暮らしと人生を侵食されるのだから、商売してなにが悪い、稼げるだけ稼ごう、となるのは当然だろう。
ふと思い出したのは、自分が住む街で年2度開催される古道具市の光景。近年は外国人旅行者にも大人気で、当日は道も駅も電車も通勤ラッシュ並みに混む。住人にとっては “迷惑” の方が大きいし、旅行者もそのことで結局街から遠ざけられる。オーバーツーリズムはつくづく厄介な問題なのだ。
そんな思いにふけりながら午後4時頃には無事バーリ駅に戻り、昨夜はバスに乗った道を歩いて部屋に戻る。
隣りのピッツェリアでピザとビールを買い、食べ終えたら夕暮れの旧市街地をゆっくり散歩して気分変えよう。
そう思いながら何口めかのピザにかじりつくと、カチッ! なにっ? ポロッと外れてしまった奥歯の詰め物を噛んだ音だった。
ああ、つくづくアルベロベッロは私にとって鬼門だったのだ。街との相性も人のそれと同様、うまくいかない相手とはとことんうまくいかない(逆もあり)
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