林浩治「在日朝鮮人作家列伝」05 呉林俊(オ・イムジュン)(その5)
呉林俊──激情の詩人の生涯(その5)
林浩治
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4)大日本帝国陸軍二等兵になる
1940年代、青年呉林俊は日本の五大政策である「国体明徴」「鮮満一如」「農工併進」「数学振作」「庶政刷新」によって、日本人になりきることのみが幸福になる道で、同化することが朝鮮人同胞の利益に繋がると信じていた。
その頃、軍事工業が拡大し朝鮮人も採用されるようになった。
林俊は18歳になっていた。雑貨屋の後は脇浜鉄工株式会社の工員に採用され、ボーリング盤の見習工として勤務した。
ここでは勤務のかたわら週3回の夜間学校である「青年学校」に通わされた。〈学科は主として日本の国体の本義にもとづき、青年の心身を鍛練することに主眼〉をおいたもので産業振興、地方開発と軍事訓練に主眼がおかれ、「大任を双肩にになう皇国青年」を錬成するもので、自由な就学ではなかった。
ここの配属将校に徴兵検査を受けるべく促された。
1944年9月から朝鮮人にたいする一般徴用が始まっていた。
どのみち兵役に編入されるだろうし、適齢には早い自分は資格なしとされるだろうという楽観から、つい検査場に足を運んでしまった。甘かったのだ。呉林俊は甲種合格を言い渡され志願入隊が決まった。
出征しようとする林俊に、母は、なんで倭奴のために死のうとするのだ、と泣いて嘆いた。
呉林俊は、前述したとおり関東軍中国東北部老黒山部隊に朝鮮人二等兵として着任し、腐敗した軍隊生活の洗礼を受けた。
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公文類聚・第六十八編・昭和十九年・第八十巻・産業・鉱業・漁業...
件名:半島人労務者ノ移入ニ関スル件ヲ定ム
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