林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その10)
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その10)
11)結婚
数カ月後、地区委員会から唐突に恋愛許可の通達が届いた。
金天三の相手である北慶子こと岡百合子は大学卒業の直前だった。
組織は二人の結婚を進めた。
二人は再会して党への献身を語り合った。
55年の年明け早々、組織は結婚の手はずを着々と進めていた。結婚は町の党活動を盛り上げるためのセレモニーだった。
その頃には天三は勤務する製本工場に近い一室に下宿していた。
岡は新米教師として働きながら、天三の下宿にせっせと通った。
しかし極貧のなか高等小学校を中退しただけで、小悪党として育った朝鮮人共産党員である金天三との結婚を、医師の娘として上品に育った岡百合子の両親が簡単に賛成するとは思えなかった。
それを党は戦後文学者として著名な野間宏を説得役に派遣して納得させた。このときはまだ金天三も岡百合子も野間と会ったことがなく、名前しか知らない。
1955年3月末、結婚式が挙げられた。
式場は教育大学の学生自治会館だった。
老朽化した廃屋に近い建物で、岡の両親は唖然とした。
費用の問題もあったが、非合法の活動家として軍事方針に基づいた活動ゆえ逃げていた天三が公の場に顔と名を出すことはできない。
式場入り口に立てかけられた看板には、岡の両親の知らない結婚式用の偽名が掲げられた。
式には国際派の大物宮本顕治が出席した。宮本と対立していた野間宏は欠席した。
宮本顕治は日本プロレタリア作家同盟の活動家として、戦前から知られた批評家で妻は作家の中条百合子だ。
宮本は1933年に逮捕され日本の敗戦まで収監されていた闘志として尊敬されていた。
その後40年にわたって共産党の指導者としての地位を固めた宮本顕治だったが、このとき挨拶のあと突然「ふたりのために平和のうたをうたいます」と言ってハトポッポを歌って場を和ませた。
二人の結婚式は宮本の復帰と衆議院選挙出馬を祝うためのものでもあった。
夫妻の新しい生活は、駒込上富士前の四畳半一間のアパートで始まった。いくらか早めに帰れる百合子が夕飯を作ったが、大家族で育った百合子には二人分の水加減が分からない。失敗続きの岡を天三は「ごはんの炊き方も知らないの」とからかった。
百合子は銭湯に通うのも初めての経験だった。
銭湯の帰り二人で六義園の塀にそって回り、岩崎邸の前から駒込の駅前に出て帰るのが日課になった。貧しく忙しく充実した生活だった。
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