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とらぶた自習室 (21) 勉強メモ 野口良平『幕末的思考』第3部「内戦」第1章-1~4③福沢諭吉
野口良平『幕末的思考』みすず書房
第3部「公私」
第1章「再び見いだされた感覚──第三のミッシングリンク1~4 ③福沢諭吉
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(筆)栗林佐知
2023年8月8日のメモ
■前回までのおさらい
① 明治の三傑の後を継いだ伊藤博文は、「今の国民には憲法を考えるような頭はない」と判断。ブレーンと共に秘密裏に憲法を草案し、これを天皇から国民に下すことに。
それと同時に、国民たちに天皇への信仰を浸透させることで「国民意識」をもたせようと、「教育勅語」を発布。全国の小学校に「教育勅語ください」と言わないといけないような雰囲気を演出する。
この政府のやり方に対して、思想家たちはどう対抗したか
②と③で中江兆民と、福沢諭吉の思想的格闘が紹介される。
②中江兆民は『三酔人経綸問答』を書いて、「理想主義の洋楽紳士」、「侵略主義の豪傑くん」、飲んだくれの思想家「南海先生」の3人が、これから近代日本がどうなるべきか意見を戦わさせてみた。
けっきょく正解は出ないのだが、簡単ではない民主主義の難題を、絶えず語り合わねばならないことを提示した。
で、今回は、③福沢諭吉が最晩年に書いて、友人と、自らが批判した勝海舟、榎本武揚にだけ送った(死語に新聞に掲載)「瘠我慢の説」です。
③福沢諭吉
■「天保の老人」福沢諭吉
国会と憲法が準備されつつあったこの明治20年代初頭、「幕末を知らない」若い世代の論客が登場し始めていた。
20代の徳富蘇峰(徳富蘇峰というとごりごりの国粋主義ジジイという印象がありますが、最初は自由とか民権をまじめに考える人だったみたい)などが論壇のスターになる。
「天保の老人はひっこめー」みたいな論調も。
だけど、 伊藤博文たちによる「上からの憲法」の危なさを鋭くかぎとり、問題点を書き記したのは、若い徳富蘇峰たちではなくて、「天保の老人」である福沢諭吉だった、そうです。
『痩我慢の説』を紹介する前に、私が個人的にちょっと思ったのは、これはどっちかというと社会的に強い立場の人、エリートの人たちに向けた提言だろうな、ということです。
人生ですっと虐められ通しで、もう我慢も限界!!(現代日本人にはこの状態の人が多いと思う)の者からみたら、
「は? 痩せ我慢? それどこじゃねえ!」
「寝ぼけてんのかこの1万円おやじ!」
と思うかもしれません。
なのですが、そう思うのはちょっと脇へ置いて、いまはひとまず福沢の鋭さのポイントを聞きましょう。
やっぱり福沢は、凡百の“上から目線おじさん”ではないのです。
■公は私情
人間は自由だ。でも、強い人も弱い人も、誰もが住みよい世の中をつくるのには、法(ルール)が必要だ。
なのだけど、「ルールが必要。強い人たちも弱い者イジメをする自由を手放し、従いなさい!」という理屈の根本は何か。それは自由の侵害にならないのか。
ルソーと中江兆民は、それは強者だけが自由を謳歌する、力づくの「自然状態」がまずいからだ。と位置づけた。
だが、それだけだろうか。
(ここ、じつは未消化です)
福沢は「痩我慢の説」でこういっているそうだ。「公をつくるのは私情だ」と。
え? なになに?
私情とは、何かというと……「そんなのおかしいよ、そういうのってよくないと思う」という、状況に対する個人の気持ち。
これを 「感情的になるな」とか 「現状はこうなんだから仕方ない、この方が便利だしうまくいく、変なことにこだわるな」 「うるさい」「意地を張るな」 といって退けてしまっていいのか。
損得利害、大義名分からだけつくられた法は、「悔しい思いをする人たち」からのチェックが働かなければやがて一人歩きするだろう。
(そんなこと著者はいってないかもしれません)
気がついたら誰にも便利じゃなくて悲惨な状態に追い込む法になってるかもしれない。
ここへきて、戊辰戦争の時、江戸の街を戦火から守った勝海舟を、著者があまり評価していないようだった理由がわかってくる。
勝海舟は、戦争を止めたのは偉かったし、そのおかげで、日本列島は欧米列強の食い物にならないですんだのかもしれない(内乱が泥沼になったら、フランスが幕府に、イギリスが薩長について内乱を助長し、その結果、日本列島を植民地に分割(山分け)……なんてことになってたかもしれない)
けれど「そんなの理不尽だ!」と勝てる見込みがないのを承知で抵抗せざるを得なかった幕臣方の思い(私情)を、無価値にしてしまったことには、勝海舟は責任がある、と。
戦争は極力避けるべきだが、かれらを「益のない戦争をした時代遅れの人」とくくってしまうなら、それは何か大事なものを見失うことになるだろう、と。
福沢の言う「痩我慢」とは、「おかしいだろ」と思うときに、「その方がトクだから、ま、いいか」という方をあえてとらず、損をこうむっても「いやだ、そんなのおかしい」という姿勢を大事にすること。
福沢は、消されようとしている「幕末の経験」を次世代に伝えなければと思ったに違いない、という。
黒船に迫られ、古い身分制度の社会に限界を感じ、行動し考えた幕末の人々は、《「私」意外に何一つ支えがない場所》(本書p220) にいた。
そのことを忘れないでほしい。と。
上から「与えられた」憲法に「おい、ちょっと待てよ」と疑問を感じ、口にすることを忘れないでほしい、と。 このあぶない顕密システムを見はるには、この姿勢こそが大事なのだ、と。
■これはあれだ!
「そんなのおかしいだろ!」 という私情から始まってこそ、理のある「公」が育つのではないか。という、哲学者ならではの省察。
それでハッとしたのですが、この「私情」ってやつ、あれじゃないですか!
福沢の死後、70年。 「三食昼寝つき」 「家電は揃ってるしインスタント食品は出てるし、女は極楽だろ、何の不満がある?」 「永久就職、いいねえ」 といわれ、それでも 「おかしい、なんかいやだ」 と言い合ったウーマンリブたちの合い言葉。
「個人的なことは社会的なこと」
もちろん、ウーマンリブの考えは、苦しみ、必然から生まれたもので、おそらく福沢諭吉の影響なぞは受けていないだろう。
むしろ、福沢がすごいのはそこかもしれない。
70年も前の“上から目線おじさん”(デフォルトマン)でありながら、この真実を見いだせたってこと。
福沢は「日本の女は売春婦になって海外へ繰り出せ」(?)とか言って、心ある女性たちに嫌われてるし、私も全然興味がなかったのですが、決して一面からだけで判断できる人ではないし、書き残したものもたくさん校訂つきで残っているのに、それをまるで読まないで「げー」と決めつけるなんて、 “無知蒙昧でひがみっぽいだけの下から目線”といわれてもしかたない、と反省しました。
→ とらぶた自習室(22)野口良平『幕末的思考』第3部 第1章③なんと!著者からのお返事!!
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