見出し画像

夜職のルッキズムについて

まずルッキズムとカッコつけて書いたが

外見のみを重視して人を判断したり、容貌や容姿を理由に差別的な扱いをしたりすること。

wiki参照


のことのようだ。
またの名のことを外見史上主義というらしい。
外見が良かったらその人が素晴らしい人という主義だね。なんか同じこと2回行ってしまったね。
夜職のルッキズムについて考えてみたから夜職で働いてる僕の偏見盛りだくさんになってるから今回の記事も話半分で読んでくれると助かる。

まず僕の立場を先に提示しておくね。

外見が優れてるやつは比例していい奴のことが多い

これだ。ルッキズム大肯定派。
ミソは『のことな多い』と言う所。
保険をかけてます。全員が全員そうではないからね。そして、本当はその反対の事書きたかったけど反感買いそうなので辞めます。でもそう思ってます。

しかしこのワードにはもう一つだけカラクリがあり

外見というものを重視してる人種に限る。

に限定する。これは外見が良い悪いに限らずね。
俺はブスだから〜も含むし
私は可愛くなったの!も含むよ。
別に顔なんてどうでもよくね?も含むよ
どうでも良いと思ってたらまずその考えにもならないからね。
正直限定はしたものの貴方は例外ではないので安心して欲しい。この人種は多分1%くらい。
どんな人種かは今回割愛するね。
でも俺の親友はこの人種。
そして昔なにがなんでもなりたかった人種でもある。
今は良い意味でそんな気持ちはないよ。

話を戻すけど外見を気にするはなんなのかもっと根っこの部分を考えてみよう。外見を気にするとは当たり前だけど人から評価を気にしてると言うことだ。よく顔は自己満足と言っているが半分正解で半分不正解だと思う。確かに細かな変化で人からの評価は変わらないけど言われて褒められて嬉しくならない訳じゃない時点で自己満足ではないよね。他人の評価の対象ではある。それからは逃れなれない。

逃れなれないのを認めてそこと向き合った奴は外見を磨くのだ。そんなしょうもないものと分かりつつ、馬鹿らしいと偶には思いつつ、自分らしく生きたいとかいいつつそれでも磨く。それから逃げられないのを知っているから。逃げられないのなら、どうせ向き合わないと行けないならと半分自暴自棄になりつつも決して目を逸らさない。その姿勢が僕は好きだ。
だからルッキズムは肯定派。
ただ肯定派だからと言って否定派の反対では無いんだよね。
自暴自棄の方向を間違えて嘆いて外見を磨くことから逸れる人生も儚く素晴らしいからね。
どちらでもいい、ただ君が幸福なら。

イイね押したら
僕の次の整形しようかなと思ってる場所を知れるのと
励みになるので押してねポチッと!

いいなと思ったら応援しよう!