弟エピソード10

 父が歩けなくなり、おむつをするようになって、病院通いは私一人では無理になった。私は下肢障がい者で、とても人を支える力はない。朝はヘルパーさんに来てもらい、車に乗せてもらう。途中で弟を拾い、病院に着くと車いすで診察室に移動する。帰りは弟に家まで来てもらい、父をベッドに寝かせてもらう。それから私は弟をアパートまで送っていく。弟の病院と食料確保もある。忙しくて泣く暇もなかった。父が急激に衰弱したのは、それまで無視してきた跡取りが、急に接近してきて、今からそっちに行くと言い出してからのように思う。1回目は病院の予約がはいいていたので、今回は遠慮してもらいたい。こちらの予定も考慮してほしいとお願いした。

「今から行く」と2度目に電話がった時には、あきらめた。いつも自分の都合だけで行動するのが当たり前になっていたのだ。ビジネスホテルのロビーに父を連れて行った。跡取りは疲れた表情をしていた。

「だいぶまいっているな」父の声には嬉しさも混じっていたように感じた。父は跡取り夫婦が頭を下げてくるのを待ちわびていたのだ。帰りに私と弟が車を玄関に回している間に、跡取りと父と二人だけの時間があった。この時に密約が成立していた。次の正月には、父を上座に据えて、跡取りファミリーと一緒に祝うと、父が有頂天になったのも理解できる。私は父が故郷に帰るのは喜ばしいが、不安も感じた。本当に最後まで世話してくれるのかが一番大きい心配だった。今までの経過を踏まえて、家庭裁判所を通すとか、約束の公文書を用意したいと思った。父は喜びで舞い上がってしまい、私が心配な点を言うと

「もうそれ以上言わんでくれ」と話を終わらせる。それで散々なめにあってきたではないか?父の気持ちは尊重するが、今までのような経過をたどるとすると、後始末するのはわたししかいないでしょに。慎重になるのはやむをない。

「土地の売れる所は全部売って、金は自分によこすように、貯金も自分に渡せ、年金も自分が受け取って小遣いは渡す」これがまだ父が、故郷にいるころ、居続けるための条件だった。父が応じなかったため、嫌がらせをかさね、いたたまれなくさせた。使途不明金の説明も一切なしだ。望郷の念で溢れていた父は、それでも跡取りの話に飛びついてすがった。

「あれはまだ来ないか」父はたびたび訪ねた。そんな話になっていることを私はきちんと把握してなかった。もう自分では歩けない父を、新幹線を使っても6時間以上かかる実家にどうやって連れていくつもりだったのだろう。弟が父に上座に座ってもらっての発言以降、父が帰りたい気持ちには、拍車がかかったようだ。跡取りが迎えにくるのを待ちわびていた。数か月たって再びこちらに来た跡取りは、

「迎える準備を数か月かかる。それまで見てくれ」と言った。たぶん施設を探すのだろう。あの連れ合いが父の世話をしてくれるとはとても思えない。まだ元気で自分のことが自分でできた時点で施設や病院のことに言及していた。私が父をこちらに呼ぶ覚悟を固めたのは、連れ合いのそんな態度も大きかった。受け入れ先が決まったら、私に連れてこいとでもいうつもりだったかと思う。

 跡取りが待つホテルに着いた時、玄関先で

「いつ帰ってきてくれる」と涙を流した。もう一人じゃあ帰れないんだってば、そんな事実も見えないのだろうか?私は跡取りが父の通帳から引き出したお金の使い道がはっきりしない限り、跡取りりは信用できない。これは譲れないと父に伝えた。父は跡取りに尋ねた。その場では説明できなかったが、その夜、私と弟を呼び止め部屋に招き入れると

「金は弟の愛人に渡した」と言った。弟はびっくりして、愛人の名前をきいた。女性のいるクラブでお気に入りの子がいたのは事実だった。別れる時に母が働いたお金を渡したのも弟から聞き出していた。しかしそんな高額なお金を弟関係に使うものだろうか。なんでも弟のせいにして、これまでも乗り切ってきた。私は父にそのことを伝えた。

「お前のことは信用できない」と父は翌朝跡取りに告げた。この日から父は食事をほとんどとらなくなった。1か月後に父は亡くなった。微熱があって、過去に肺炎を起こしていたことがあったので、病院に搬送してもらった。父は処置室で私を傍に呼ぶと

「これからはお前の言うことを聞く」と言った。父が憐れだった。私自身も憐れだった。



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