弟エピソード11

 弟の話に戻る。父がまだ故郷に住んでいた時、弟が何回めかの家出をした。アルコールを断つために、弟にはたばこ代くらいしか渡していなかった。弟は妻子のいる市に行って、アパートの前で待っていて、小銭を貰ったと言う。そして酒の自動販売機に走り、酒を買えるだけ買って飲み干した。野外で一晩過ごした後、父に電話を入れた。

「たかから電話があってな」父の声は焦りに満ちていた。

「九州に帰りたいが金がないと」

「切符を買ってやって、お金は弁当代を渡して」と私は答えた。父も弟の存在は隠しておきたいのだ。弟が成功の絶頂にいた頃は、あんなに自慢しまくっていたのに。私が酒を断つのに、尽力していることを知らないでもあるまいに5千円わたしたという。それで飲んで帰ってきた。

「前日は子供たちの所にでもとまったんだろう」とこともなげに言う。泊めてくれるような家族なら、現在私の所にはいないと思う。これ以上の援助を実家が拒否した時点で、ただの厄介者になったのだ。その事実を認めようとしない。認めることができない。こうであったらいいなあの思惑の元に、事実を曲げて認識する。80年もそうやって積み重ねてきたのだ。それでも苦しんだと思う。自分の思ったような老後、子供達でなかったことに。もちろん私も含まれると知っている。自分の希望、考えを子供たちに押しつけ続けてきたことが招いたことでもある。

 私が弟の世話を申し出たのは、父が最後まで生まれ育った土地でくらすためだった。弟さえ引き離しておけば、あとは丸く収まると思いたかった。それが父のよくやる希望的観測だったことを、この後思い知らされることになる。なにか起きるたびに、対応する必要がでてくる。それには事実を冷静に見て、仕分けしてやれることを探す。もともと夢見がちな性格であった私には、現実に生きる術を与えてもらったかもしれない。わからないことは調べること、専門家に相談する事、必要に迫られてこなしていった。そう言った意味で弟の発言

「俺は姉さんのためになっている。俺がいろいろやらかした問題を解決するために、姉さんがいろいろやらなくてはならなくなった。そいでやれるようになった」

は事実を指摘している。

「ありがとう」とお礼を言った方がいいんだろうか。それとも

「私馬鹿よね、おバカさんよね」とマイクを握って歌った方がいいのか。両方とも必要だったと今は思っている。


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