結婚50年
「よくもったねえ」息子は言った。
「お父さんはお母さんでよかったんだね」娘は言った。
まったくの他人が生活を共にする。それまでに築き上げた価値観も違う。
もめないわけがない。
「結婚させてもらうから、妹、親のめんどうをみる」と当時の彼は言った。私には口あんぐり案件だが、それが当たり前だと思える環境にいればそうなる。貧しい学生で、授業料の捻出にも苦労していた。その上身内の面倒も見るとは、私は彼とは結婚できないとあきらめの気持ちになった。私を優先順位1番にするとの言葉にほだされて一緒の生活をスタートさせた。彼の心の中では私が一番だったのだと思う。実際には身内、職を得てからは、仕事、仕事仲間に十分時間を割いた。好きでも嫌いでもエネルギーは使う。無関心を心がけたら、世界がセピア色に染まり、喜怒哀楽が平たんになっていた。
花も嵐も踏み越えた覚えはない。自分を自分の居場所を手にしようと、自分だけでがんばった。子供たちは言葉を送ってくれたので、私たちはよく持ったねの旅に出た。温泉、食事、お酒がおいしい宿を予約した。実は49年目だったことに直前で気が付いた。予行演習ということで、今年も同じ宿を予約した。
「今まで一緒にいてくれてありがとう」こころからの感謝の言葉ではないが
私は言った。清濁併せ飲むことを学んだのだ。
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「よくもったねえ」と息子が言
った。私も深く同意する。結婚
することで、生家への負担を背
負わされた彼と、妻ファースト
の結婚を夢見る私とでは、初め
から噛み合っていなかった。立
のの違いから生ずる意見の相違
は、感情を巻き込めば荒れた。
嵐の爪痕は傷になって今も残っ
ている。なぜ婚姻を持続させた
のか、説明できない。夫のおか
れていた状況が全体的に視野に
入るようになったのは最近のこ
とだ。50年記念に1年間違え
え宿をとった。
「今回は予行演習です」と言っ
たが、宿側は本当によくしてくれ
た。
「本番も当宿で」「はい」