弟エピソード2
「今病院にいる」
10数年前の7月の夕方、父から電話がきた。父は心臓肥大を患っていたので、病院にいるのは父だと思い込んだ。
「○○がな」
と母の名前を言った。希望的に物事を見るのが好きな父だから
「大丈夫だと思うが」と続けた。
「来るとき、黒い服を持ってきた方がいいぞ」
弟の電話で、事の重大さを感じた。ふるさとまでの旅費の用意がなかったので、気持ちはせいたが、翌日1番にATMでお金をおろして、電車、新幹線と乗り継いだ。実家のある駅で電車を降りると、叔母に遭遇した。涙があふれてくる。詳しいことはまだわからないが、親戚までお呼びがかかっているということは、父の楽観論では済まないだろう。
母は倒れてから5日目に亡くなった。倒れた日の午前中は近所の病院で診察を受けている。帰宅して母の大好きなカツオの醤油漬けで、父と夏休みで帰省中の孫と昼ご飯を食べた。父が今居間に戻って、テレビを見ていると、廊下を挟んだ寝室でドスンと音がした。母が倒れたのだ。父はすぐ救急車を呼ばないで、孫の軽自動車に母を乗せて、午前中診察を受けた医院に運んだ。医師は一目見るなり、
「ここでは対応できない」と救急車を手配してくれたという。
「午前中に診てもらっているから、そこに行くのが当然だと判断した」父はそういった。
もしもだけど、直に救急病院に駆けつけていれば、対処の仕方も変わっていて、母は命を取り留めたかもしれないとも思う。そこの病院で、検査室から出てきたときは、母は酸素吸入器をつけ、意識はなかった。医師の説明によると生存に必要不可欠な小脳の血管が詰まったとのこと、レントゲン写真で見ると黒い部分が広がっていた。
母が倒れて5日目、病室につくと母の姉がすでに来ていた。足を見ると、指先の方からくるぶしまで紫色になっていた。前夜、人は足の先から死んでいくという話をテレビで見たばかりだった。もう時間の問題で、兄弟、親戚に連絡を取り始めた。私たちが集まっていると、大声で泣きながら、下の弟が飛び込んできた。その後は葬儀屋さんが手際よく物事を勧めてくれた。上の弟とその嫁さんは、本当によくやってくれた。父の悲嘆は言うまでもない。
悲しいけれど、これで後は波風(なく、生きていけると思った。しかしこの時点、水面下では下の弟の借金地獄が噴火を待っていた。