ひっくり返した電気釜

 お話はさかのぼること、うん十年。まだ家人と一緒になったばかりの頃。1Kのアパートに母が訪ねてきた。ご飯を炊いて、家人が何を作ってくれたのか忘れたが、おかずを作ってくれた。
「早く、ご飯を持ってって」と強い口調で家人に言われて、私は電気釜をもって部屋に行こうとしたら、後ろからひっぱられた。電気釜は私の手を離れ、床にころがり、炊き立てのご飯が床にぶちまけられた。

 何でこんなことになったのか、私から言わせればこうだ。
電気釜を運ぶ時、コードを抜かなければならない。いつも私がぬこうとすると、家人が「力がいるから僕がする」とやさしく言って、私が運ぶだけにしてくれていた。私はそのつもりで、行動したのだ。
 この経験はけっこう深い痕になっている。優しくして後に
私がこけるように仕組む。被害妄想的だが、このパターンは
地中深く流れ、似たような事象が起こるたび、私は勝手に傷ついていた。
 たぶん家人の中では、痕跡はなにもないだろう・・・と思う
圧倒的に彼の方が強いと思い込んでいたし、私がドジでまぬけだと思っていたから。
 その後、私は深く病み、家人から離れることがいつも頭の中にあった。精神科にいけば、薬を処方されて、もっと病んだかもしれない。
幸い、私は医者も薬も、全面的には信用していなかった。あがいて、本を読み、ワークショップにも出かけた。
 家人の裏切りと私が感じた出来事の後、私はインドに出かけた。小学生の子供もいた状況だったが、このままでは自分がどうなるかわからなかった。
 今、あらためてそれなりにようやったと思うが、このインド行を除いて、後の生活費は家人に依存している。立派なパラサイトなのだ。
 そして、この出来事は、母とのある出来事とリンクしていたことに、最近気づいた。それは私が高校生だったかな、朝母が起きてきて
「今日は本当に体が辛い。あんたが朝の支度をしてくれれば、
女の子を生んだ甲斐があったのに・・・」と言った。
 私は母が具合が悪いと、気付けていなかった。手伝いも、軽くいなされて、母と一緒にやったことなんてなかった。
突然、結果だけを求められても困る。
 後になって、母は本当にしんどかったのだろうと感じたが、
私は、非難された気持ちの方が強かった。
 これは、家人とのパターンと同じだ。シチエーションが変わっているだけで、私はこのパターンをずっとやってきた。
変えたいと思ったのは、最近なのですね。

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