弟 エピソード12
弟が最初の脳梗塞を起こしたのは、いつものように家賃、光熱費を飲み代に使い果たして、放浪の旅から帰還した直後だった。電話をすると
「昨夜、箸を落とした。目の奥が痛い」という。ただ事ではないと感じた。愛車に飛び乗り、弟を連れて近くの病院に行った。脳外科の診療はしておらず、脳外科医院を教えてもらって、駆け込んだ。その前にもう一つの大問題があった。弟は健康保険料を払っていなかった。なので病院の前に市役所に飛び込む、保険証の交付をお願いした。月賦で私が払うことを確約して、市役所を後にした。血圧の上が200を超えていて、すぐに点滴を始めた。検査して、頭頂部の左に梗塞が見つかった。入院して治療を受けた。この後何回も梗塞をおこした。医師の説明では、
「ほとんど半身が不随になるのだが、この人はちょっと違うね」と言った。1回目の梗塞後は、ほぼその前と変わらず生活ができていた。が影響は徐々に出てきていた。ある日、弟の携帯電話にでると、舌がもつれていた。酔うている時の話し方と同じだった。
「お酒をのんでいるの」と聞いたら、
「知人と電話で話をしていたら、急にこうなった」と言った。左脳は言語を司どっているからなのか。この後はいつも酔っているような口調でしか話せなくなった。1週間に1度食料品を一緒に買い出しにいき、病院へは自分で行っていた。平穏な日々だった。
脳梗塞をくりかえすたびに、体の動きも制限されて、買い物、病院、断酒会の送り迎えと私のやることも増えていった。
そして、デイケアで具合が悪くなり、救急搬送された病院で、脳出血、前立腺がんがみつかった。この時点で骨にも転移していた。医師のすすめもあり、離れている妻、子に電話を入れるも固定電話、携帯も出てくれない。これは意図して出ないのか、ずいぶん前の情報なので、番号がかわっている可能性も考えられる。携帯にSNSでメールをおくったが、それにも返答はなかった。弟は少額ながら、保険に入っていたので、入院費、死亡保険が請求できる。妻子がいるんで、私は請求権がないんだそうだ。死亡保険は、こっちで、献身的に世話をしてくれた義理の甥に変更してあった。葬式代のこともあるし、それはよかったと思う。もう一人では生活できないと感じたので、入院している間に入れる施設を探したいと思った。予算に限りがあるので、ネットで調べまくった。ケアマネージャーさんも探してくれた。結果はケアマネージャーさんが探してくれた施設からは断られた。予算が関係してると思う。入居できるところが、あることはあったのだが、弟がアパートに戻りたいと言って、譲らない。理由はアパートの隣の人が、話をしてくれるからだと言う。晩年にやっと出会った、対等な友達だったらしい。弟は困るとすがってくるが,そうでない時は、嘘を言っても自分のやりたいようにやる。そのことは思いしらされていた。一人で生活するための新しいベッド、ガスは使用してほしくないのでIH 専用の鍋、布団も汚れてボロボロだったので、あたらいい寝具、安価なものを必死で探した。1.5合炊きの炊飯器も購入して、ご飯だけは自分で炊いてもらうことにした。おかずは私が作って運ぶしかないだろう。おかげで日持ちのするおかず、南蛮漬けや、酢の物のレパートリーが増えた。
「なっ、俺は姉さんのためになっているだろ」との弟の声が聞こえた。お風呂も見守りなしでは危ない。デイケアに週2回行けるようになったので、入浴はそこでお願いしたいと思った。デイケアから
「入浴は週1回しかサービスできません」とケアマネージャーさんを通じて話があった。週1回でもやむをえないと言葉を飲み込んだ。