齋藤太郎のちろり持参ですVol.4
連載 齋藤太郎の“ちろり持参です”
文・齋藤太郎 写真・児玉大輔
芝の路地裏、わずか22坪の醸造蔵
株式会社 若松/東京港醸造株式会社(東京都港区)
江戸期には大名屋敷が並んだ東京港区芝。かつて西郷隆盛と勝海舟が江戸開城をめぐって酒を交わしたともいう歴史ある酒蔵がある。時代の荒波によって廃業の憂き目に遭うも、100 年の時を経て、“日本最小” の蔵としてよみがえった。
風情のある路地裏の一画にある「東京港醸造」。写真はショップ外観。
東京都港区芝。オフィスビルが立ち並ぶ東京の真ん中で、わずか22坪の敷地面積で酒を造る蔵がある。東京港醸造――。母体である若松屋は1812(文化9)年に創業し、幕末には勝海舟や西郷隆盛も通ったとされるなど、長くこの土地で愛されていたが、酒蔵は1909(明治42)年に廃業を余儀なくされた。そして月日は流れ2011(平成23)年、若松屋は再興を果たす。
100年の時を超えてこの地で祖業の酒造りを復活させた株式会社若松の齊藤俊一社長と、その齊藤氏の想いに共感し、東京の地酒「江戸開城」を醸す杜氏の寺澤善実氏にこれまでの道のりや二人が描く未来について伺った。
「20年ほど前、雑貨屋を営んでいた私は商店街連合会の役員として地方を回っていました。数々のシャッター街を目の当たりにし、東京の商店街も何か手を打たねばと思い至ったのが祖業の酒蔵復活です。私自身、密かに『蔵元』になりたいという想いを持っていましたが、広い敷地も資金力もないので出来るはずがない。その夢が現実味を帯びてきたのが寺澤との出会いです」(齊藤社長)。
杉玉の向こうにショップを垣間見る
情熱家オーナーと発明家・杜氏の邂逅
齊藤社長と寺澤さんとの奇跡の出会いは2006年。京都で生まれ、地元の大手酒造「黄桜」の社員として20年以上酒造りを経験してきた寺澤さんはこの頃、「黄桜」が京都の酒文化を東京に広めるためにお台場に造った「台場醸造所」の醸造責任者であった。そこを訪れた齊藤社長は振り返る。
「15坪ほどのスペースで、ちゃんと酒が出来ている。とにかく衝撃的でした。それから何度も通い、寺澤と酒蔵復活についての議論を交わしました。寺澤からは採算が取れないので止めた方がいい、絶対に儲からないと言われましたが、とにかく、私は、やりたかったのです」(齊藤社長)。
当時「台場醸造所」に興味を持つ企業は少なからずあり、寺澤さんにも多数の相談や問い合わせがあった。しかし採算が合わないと聞くや否や皆引いていった。ただ一人を除いて――。
「齊藤社長の明確な動機、情熱に深く心を動かされました。そして私自身もこれまで自分が積み上げた技術を生かし、小さな空間で本物を造るというのをやってみたいと思いました」(寺澤さん)。
2009年、奇しくも台場醸造所が撤退となったことから寺澤さんは「東京港醸造」の杜氏となることを決める。なお撤退が決まる直前の2008年、寺澤さんは「台場醸造所」で造った酒で全国新酒鑑評会の金賞を受賞し、小スペースでも旨い酒が造れることを見事証明している。
しかし、杜氏を迎えたからといってすぐに酒造りが出来るわけではない。苦心の末まず2011年に「その他醸造酒(どぶろくなど)」と「リキュール」免許を取得し、清酒(日本酒)の酒造免許を取得できたのはそれからさらに5年後の2016年だ。
「税務署からは門前払いされましたが、それでもやはり清酒を造らねば本当の酒蔵復活とは言えないと考えました。周りは皆、採算が取れない、今ならまだ引き返せると言いましたが、私は先祖が残してくれた無形資産をブランド化して世に送り出せば儲けは出なくとも続けていけるのではと考えました。そして生まれたブランドが『江戸開城』です」(齊藤社長)。
酒造りに必要な設備は変わらない。各フロアをち密なレイアウトで活用し、わずか22 坪の醸造所を実現している。
日本酒の未来を拓く無駄のない〝醸造〟建築
この間に寺澤さんは動線に一切の無駄のない、小さい空間でも効率的で完璧な酒造りが出来る醸造所を完成させた。また、独自の機材を次々と開発し、製麹機においては特許も取得した。しかも醸造所は元々齊藤社長が住居としていた4階建のビルで、酒を造るための設備はおろか、建物の構造も何もかも酒を造れるような環境ではなかったというから驚きだ。
「すぐに酒造免許が得られる環境ではなかったので、建築関係の展示会に足を運んだり、文献や資料を読み漁り、酒蔵を設計するための知識を独学しました。コンパクトに仕込む造りはお台場の経験が、製造計画などは黄桜時代の経験が活きました」(寺澤さん)。
寺澤さんは2019年、このコンパクト型酒造りのノウハウをパッケージ化して広く伝承するためのコンサルタント会社「東京港醸造株式会社」を起業した。酒だけでなく味噌や醤油といった日本が誇る発酵食品の製造設備を持ち運び出来る規模まで小型化することで、イベントや海外への紹介活動、地域の拠点となる施設として地域活性化に繋げる狙いだ。
「日本酒の業界では、過去のテクニックや遺産だけを使って造ってゆくのが一番良い酒造りであって、温故知新ではないですが振り返ることで価値を上げようとしていることが多いです。ですが私は未来に繋げる酒、酒蔵を目指しています。要らないものを排除したり、かつてはコントロール出来なかったものをコントロールし、これまで膨大な敷地で自然の中でしか造れなかった酒造りをコンパクトにし、流通も圧縮し、出来上がったものをその場で飲んでいただけるような場の提供が出来るようにしたいです」(寺澤さん)
このコンパクト型酒造り「クラフト蔵工房」は新しい日本酒の可能性を切り開く取り組みだと、齊藤社長も全力で後押しする。
「地方の駅に小さな酒蔵を造って旅の途中下車のきっかけにしてもらえば地域の活性化にも繋がります。また、醸造所ごとトレーラーに積んで大阪万博に出店したり、それこそ船に積んで世界中を回ることも夢ではありません。私は寺澤がいたからここまで来ることが出来ました。次は私が彼を応援する番です」(齊藤社長)
杜氏の寺澤義実さん。コンパクト醸造を特許化し、日本酒文化の地平を切り拓く。
「TERASAWA JOZO」ロゴが輝く火入れ機。寺澤さんが独自視点で開発したもの。
SDGsに宇宙醸造未来への挑戦
2013年、和食がユネスコ無形文化遺産に登録され、日本酒についても国は2022年の登録を目指している。それを見越した展開も寺澤さんは描く。
「国際空港で出国手続きしてからかなり時間がありますよね。そこで『最後の日本』に触れる場として醸造所があれば、國酒の日本酒あるいは味噌や醤油と共にお別れができ、それが思い出となり、海外の需要をさらに高めるきっかけにもなります」(寺澤さん)
寺澤さんのビジョンは地球規模、宇宙規模にまで及ぶ。
「SDGsや未来に向けた循環社会の実現において、『クラフト蔵工房』は少量高品質生産を可能にしました。私たちのサスティナブル商品はすべて無洗米醸造法です。米のとぎ汁は有機物で、窒素分やリン酸などは十分に除去できません。河川やダム湖に流れれば当然汚泥が増え自然環境を変えてしまいます。無洗米はサステナブルを突き詰めた当然の選択なのです。また、遠隔操作での酒造りも考えていて、日本の技術を流出させることなく外国酒を造ることも可能になります。日本文化とAIを融合させ、最終的にこのコンパクト型酒造りを宇宙ステーションまで持っていきたいと考えています」(寺澤さん)。
奇跡ではなく恐らく必然であった二人の出会い。100年ぶりの復活を遂げた都心の酒蔵が今後どのような未来を切り開いてゆくのか。物語は始まったばかりだ。
株式会社若松/東京港醸造株式会社
創 業:若松/ 1812(文化9)年創業、
東京港醸造/ 2019(令和元)年 10 月 29 日
代 表 者:若松/代表取締役・齊藤俊一氏
東京港醸造/代表取締役 寺澤 善実氏
住 所:若松/〒108-0014 東京港区芝4-7-10
東京港醸造/〒108-0014 東京都港区芝4-6-10
T E L:若松/ 03-3451-2626
F A X:03-3451-3572
U R L:http://tokyoportbrewery.wkmty.com/
取扱商品: 江戸開城、Junmaiginjo Genshu Palla- Casey、どぶろく、
リキュール、ミード
2019 年、若松は「勇気ある経営大賞」に選ばれた。
ショップと向かい合う4階建ての醸造所。外観からは酒蔵とは想像できない。
2021年に新展開する「江戸開城」プレミアム。
右から/無洗米醸造法の「SustainableSake」、生きた乳酸菌を使用した酒「Palla-Casey」、東京産原料のみで作る「All Tokyo」
蔵を再興した齊藤社長(右)と寺澤さん。
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