齋藤太郎のちろり持参ですVol.1
連載 齋藤太郎の“ちろり持参です”
文・齋藤太郎 写真・児玉大輔
「吟醸酒は
つくらない」______。
未来を拓く
“熟成” の味わい
木戸泉酒造株式会社(千葉県いすみ市)
1956(昭和31)年に独自開発した製法で60 年以上、ただの一度もぶれることなく酒をつくり続ける日本酒蔵がある。それは決して過去に縛られているのではなく、はるか先の未来を見据えた結果の選択だ。
揺らぐことのない「高温山廃」
〝菜の花鉄道〟などの観光列車でも知られる千葉県いすみ市。潮風かおる港町・大原の駅ほど近くに木戸泉酒造はある。その5代目蔵元であり杜氏の荘司勇人さんを訪ねた。
木戸泉酒造は、天然の乳酸菌を用いた「高温山廃仕込み」という独自の製法を開発し、約60年間、ぶれずにその手法を磨いてきた蔵だ。もちろん、この長い時間に酒造業界ではさまざまな変化があった。日本酒では粗悪品が出回った戦後の暗黒時代を経て、80年代の辛口淡麗ブーム、90年代には吟醸ブームが起きた。日本酒以外ではビールやワイン、ウイスキーなどが台頭した。木戸泉酒造が、環境の変化に揺れることなく今なお当時からの手法にこだわり続ける理由とは何なのか。
「われわれが手掛けているものはお客さまの口に入るものです。だから安心安全で、未来永劫価値のあるものでなければならない。当時それを実現できる方法を模索していたところ、『熟成』が鍵になるのではないかと考えました。かつては価値あるものとして広く認知されていた『熟成』ですが、当時はどの蔵も手を付けていませんでした。それならばわれわれが新しい形でやってみようと考え、『高温山廃仕込み』に行き着いたのです」(荘司さん)。
「熟成」を前提とし、安心安全な飲み物を提供するため、余分な添加物も一切排除した製造方法にこだわる。その味の酒の特徴はどのようなものか。「非常にコクがありボディもしっかりしています。1杯目より2杯目、2杯目より3杯目と、飲んでいる間に魔法にかかってしまい、木戸泉の味に魅了される方が沢山いらっしゃいます。木戸泉の酒は『酸』に特徴があるので、単体で飲むよりもその土地のさまざまな料理と合わせていただきたいと思います」(荘司さん)。
多酸といえば木戸泉の「アフス」
木戸泉の商品に、甘くて酸っぱくてまろやかなAFS(アフス)という酒がある。初めて飲む人は「これが本当に日本酒なのか、ワインではないのか」と仰天してしまうような味わいだ。この酒が生まれたきっかけもやはり独自のこだわりからだ。
「日本が高度経済成長を遂げてゆく中で、先々代(3代目・勇さん)は食が多様化する時代が来ると考えました。多国籍の料理にも合わせるにはワインのような『酸』が重要になると考え、AFSを開発しました。今となってはようやく理解を得られるようになりましたが、その当時はなかなか理解を得られず、商売的には非常に苦労したようです」(荘司さん)。
ウイスキーやワインなど、洋酒では熟成されたものが価値の高いものと世界的に認知されている。一方で日本酒は〝一年ぐさ〟と言われ、経年と共に劣化するイメージを持っている人も少なくない。だが、それは全ての日本酒に当てはまるものではない。
「古い文献を読むと、3年、5年、10年と熟成された酒が価値を認められ、然るべき場で飲まれていました。明治以後、重い酒税の問題等でこの業界から熟成の文化が廃れてしまいましたが、貴重なものは未来に残すべきだと信じてやってきました。高温山廃仕込みを導入した際に、木戸泉は熟成を前提とした酒づくりに完全にシフトしました。〝大吟醸〟はつくりません」(荘司さん)。
60年の時を経て、今まさに多様化の時代がやってきた。造り方を一切変えないとだけ聞くと、過去に縛られているのではないかと思う人もいるかもしれない。だが木戸泉が見ている世界は、目の前やほんの少し先どころではない、はるか先の未来だ。
「現在のコロナ禍によって世界の生活様式が大きく変わっている中、この業界においても『熟成』がフォーカスされる時代が来ると思います。実際に今年の市場にはさまざまな蔵がブレンドかつ熟成させたものを世に出しています。きっかけはコロナウイルスという最悪なものかもしれませんが、5年後、10年後、100年後を見た場合、それが日本酒の一つの価値になっていることを期待しています」(荘司さん)。
「復興祈念酒」「一陽来復」
昨年、千葉県は台風15号に襲われた。木戸泉酒造でも蔵の煙突が倒壊するなど、大きな打撃を受けて酒づくりの開始が1カ月遅れた。今年も出荷面でコロナウイルスの影響を少なからず受けている。
「昨年の台風被害では、本当に酒づくりが出来るのかというほど不安でした。しかし、遅れはしたものの無事に仕込みを迎えられました。私たちは毎年『仕込み初めの儀』を厳粛に行っています。これは農家さんが丹精込めて作ってくれたお米が無事収穫された、その恵みに感謝して仕込みに臨もうという気持ちを蔵のメンバー全員で共有するためです。昨年、私たちは本当に沢山の人々に支えられているのだと改めて痛感し、その想いを一つの商品に託しました。蔵の個性である『熟成』を知っていただくきっかけにもなるブレンド古酒『復興祈念酒』です。また、今年は、今苦しんでいらっしゃる飲食店様に私たちが出来ることは何だろうかとスタッフでアイデアを出し合い、『一陽来復』という酒に託しました」(荘司さん)。
コロナ禍の中、SNSを活用して若手蔵人が毎日知恵を絞りながら「一陽来復」を告知している姿に心を打たれる。皆が同じベクトルを向いて、各々が自律的に行動出来るのも木戸泉酒造の強みだ。
ライン川の船旅で「木戸泉」を
日本酒の楽しみ方も多様化の時代が到来し、専門のバーも増え、若い女性が日本酒をたしなむ姿も以前より多く見かけるようになった。しかし一方で、日本酒全体の消費は年々減っている(国税庁によると、平成29年度の清酒消費量は全体の5・9%)。〝國酒〟の未来を荘司さんはどう見ているだろうか。
「日本酒はまだまだ発展できる要素を持っていると思います。でなければ、この国に100年以上続く蔵がこんなにたくさんあるはずがない。世界市場ではそういう歴史が高く評価されますし、まだまだ明るい光はあると考えています。木戸泉としては、高温山廃仕込みの酒づくりは未来永劫ぶれることはありません。いま一緒に働く若いスタッフにも、単に酒をつくるのではなく、木戸泉酒造が取り組んできた歴史を知りながら仕事に臨んでもらっています」(荘司さん)。
近年の日本食ブームで、海外でも日本酒が飲まれるようになった。アメリカや中華圏などでは大吟醸が選ばれる傾向にある一方、木戸泉の酒は普段からよくワインを飲む欧州で人気を博しているのが特徴だ。ワインに代わる新しいジャンルのお酒という立ち位置で受け入れられており、このコロナ禍で止まっていた輸出も再開のめどが立ち、新規案件の話も舞い込んでいるそうだ。海外への出荷は現在、売上全体の5~6%ほどだが、今後の伸びが期待できる。
「嗜好品ですので好き嫌いはあると思いますが、全世界の人に一度は口にしていただきたいです。木戸泉の酒はかつて、ドイツワインのような酒と形容されていた時期がありました。それを受けてよく父(4代目・文雄さん)が『ライン川を下りながら船の上で木戸泉を飲みたい』と言っていました。そういう光景がこの先さまざまな場所で見られるとよいと思います」(荘司さん)。
60年以上前に先々代が描いた多様化の世界は現実となった。これからはさらに時間軸の付加価値が評価される時代が必ず来ると荘司さんは言う。活気ある蔵の様子を見ていると、その時代の転換点に立ちあえる日は意外と近いように思える。まずは読者の皆さんにも木戸泉が紡いできた時間の価値を味わっていただきたい。
入口で出迎える木彫りの熊。一升瓶を抱えた上戸。
巨大なホーロータンクには重量の日々の記録。
出荷を待つ酒たち。とろみのある光が美しい。
タンクが並ぶ蔵に、歴史を感じる。
木戸泉酒造の若き2 人の蔵人。菱川友輔さん(32)と小薗江結さん(23)。
ゲストルームに展示されている原酒。1974 年から現在まで、年ごとに熟成の風合いを感じられる。
木戸泉酒造の酒。他にはない個性が魅力だ。
荘司さんと著者。同蔵ブランドの一つ「古今」は、かの入江相政が命名したそうだ。背後にその際の揮毫が見える。
木戸泉酒造株式会社(KIDOIZUMI SHUZO Co.,Ltd.)
創 業:1879(明治12)年
代表者:5代目蔵元 兼 杜氏 荘司勇人氏
住 所:〒298-0004 千葉県いすみ市大原7635-1
T E L:0470-62-0013
F A X:0470-62-3300
M A I L :s1879@kidoizumi.jp
取扱商品:木戸泉、afs、玉響、自然舞 etc…