古民家はどこまで魅力的か
ここ数年、都会から田舎へ、密から疎へ移住が進んだと言われている。
たしかに都会で生まれ育った人たちが、自然豊かでゆったりした暮らしに憧れるのもわかる。
それは知らないからだ。
わたしも旅先で、「古民家を改修してあげるから移住しておいでよ」と言われたくらいだから、「古民家」というのは巷のキラーフレーズなのだろう。
でも、田舎育ちのわたしは知っている。
古い家は、維持していくのが大変だ。いくら安価に手に入る古民家といっても、安上がりどころか割高な部分が多く修繕費が常にかかるからだ。
それに移動も不便だし競争も少ないので、インフラの基本が都会の2倍かかると見ておいた方がよい。
だからわたしは、自然を満喫できてお金のかからない理想の田舎暮らしは絵に描いた餅、もしくは甘言だと思っている。
それでも、都会から田舎へ移住しようとする人たちは、そういう不便や苦労以上に得たいものがあって、それを成し遂げることを目的にしている人だろう。逆に憧れだけで移動した人たちが、早晩都会に戻ってくることは想像に難くない。
だから、地方の移住誘致の施策は、広々とした家や土地を提供することを全面に出すよりも、コンテンツ勝負だと思う。
我が故郷にも移住者がいると聞く。
地縁で移住してくるのではなく、伝統工芸を学んだ人やアーティストと呼ばれる人たちである。
耕作放棄地になりかかっている畑を借り切って、藍が育てられ、出来上がった先染め織物の作品は全国的に評価を得ているようだ。
創造は、往々にして辺縁かど真ん中から生まれるものだ。
そういった、ものづくりやクリエイターこそ煩わしい都会を離れて意識を集中させる場所としては、田舎はぴったりだ。
わたしの子供の頃は、第二次ベビーブームのときで小学校では3,4クラス、中高では7,8クラスあるような時代で、若い世代も多くいた。
ところが、いまでは老人のみ世帯が目立つ。
60代なんて、若頭として扱われていて、会社勤めをリタイアした隣のおじさんは加山雄三のような風貌で、近所のみんなから頼りにされている。日に焼けた笑顔で、あちらこちらの家の畑や田を代わりに耕作してまわっている。
昔は、そんな雰囲気ではなかった。コミュニティが老人の助け合いの必要性から、団結力が高まっているように見える。
そんな田舎に帰ったとしたら、どうなるだろうか。
老人方の世話係として頼りにされることは明らかだ。お世話になるからにはお世話をするというのが流儀でもある。
一方、藍を育てる若い人たちは、とても大切にされている。
やりたいことに取り組もうとする人には適切な応援が入り、そうでない者にはそれなりの不平があらわれる。
これからの日本の経済を考えたとき、地方の活かし方がますます議題に上るだろう。
固有の伝統や文化で、若い人を呼び込めるのかも重要になってくる。
そしてそんな特色の豊かさを観光業に活かして、盛り上げていきたいものだ。
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