「切り絵で世界旅」(来遠橋)日本橋(ホイアン/ベトナム)鎖国で帰国できなくなった日本人の心境とは?
ホーチミン、ハノイに続いて、3度目のベトナム旅行先を中部エリアにしたのは、関空ーダナンの直行便が開通して行きやすくなったからだ。ダナン、ミーソン、フエなどを回るが、一番の目的はホイアンだった。
ホイアンの地名は、随分と前から関心をもっていた。ホイアンが貿易港として栄えていた時代、当時のベトナムと交易をしていた外国の商人たちがこの街に住んでいた。日本もそのひとつで、16〜17世紀には日本人街がつくられ、一説では日本人も1000人ほど住んでいたと言われる。
ところが、3代将軍家光の時代の1641年、江戸幕府は鎖国政策に踏み切り、キリスト教国の人の来航、日本人の東南アジア方面の出入国が禁止された。これによって日本に帰国できなくなったホイアンの日本人たちの心境はいかばかりだったろうか?
こじんまりとしてノスタルジックな雰囲気が漂うホイアンの旧市街を歩く。ベトナム、中国、日本の生活様式がミックスされているそうだが、大量の華僑が移り住んで以来、現在のホイアンの歴史ある建物のほとんどは当時の中国人の手によるものだ。
当時の日本人がつくったと言われる来遠橋(日本橋)に行ってみる。幅4~5mほどの狭い川に架けられた短い橋だが、屋根がついていており、猿と犬の像や、中央にはお寺まである。
夜、近くのレストランで夕食後、来遠橋(日本橋)を見ると、ライトアップされていて、昼とは趣の違うシルエットが蜃気楼のように浮かんでいた。
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