僕の指南書3
ヒッチハイクのルール
ヒッチハイク前日友人の家に着いた僕は今回の旅の中でのルールを決めることにした。
①知覧の特攻平和会館に行く。
②公共の機関は使わない
③知らない人に泊めていただく。
④所持金5000円
⑤自分の事は包み隠さず話す。
④は最初1000円にしていたが、友人に何か起きた時様にと念押しされて5000円になりましたw後から思うと俺の友人はこれから起きるトラブルが見えてたんじゃないかと思うくらいナイスな行動でしたwそれは3日目の出来事で書いていきます。
地獄のヒッチハイク1日目
この日は前日に友人と飲み明かしたこともあり、目が覚めたのは10時過ぎだった。出発を12時にしていた僕は急いで準備した。といっても次にいつ風呂に入れるかわからなかったのでシャワーをかり入念に洗うこと、着替えるだけだったので11時にはいつでもでれる状態だった。着替えが終わり一息つくと急な不安が押し寄せてきた。
僕は元々新しい事、まだ知らない世界に飛ぶこむのはいつでもセンチメンタルになる。
小学校の時、関西から関東に引越しをして友達ができなかった僕に母がサッカーを進めてきた時もそうだった。知らない土地、知らない人と球を蹴って何が楽しいのか?すごく嫌だったでもそれ以上に友達ができないことが嫌だった。勇気をだしたかわからないが、実際行ってみたらすごく楽しかった。すぐに友達もできたし、将来の夢サッカー選手と書くくらい好きになれるものだった。いつも新しい事を始めるときはこの感情が付き纏う。
この時もやめてしまいたいと強く思ったのを覚えている。それでも友人に言ってしまった手前行かざるおえない状況を作っておいて正解だった。
出発
京都○業大学に通う友人はその辺りに住んでいて車の通りが少なかったので15分くらい歩いた大きい通りまで移動しそこからのスタートだった。
僕の様子を感じとったのかもしれないが、そこまで友人がついてきてくれた。
友人は「この旅で感じた事全部共有してくれ。死なない程度に面白い方を選んでくれ!」そう言って握手をして別れた。
やるからには楽しもう。主人公の様にいい経験ができる様にと決意した。
そこからは前日に用意しておいたダンボールに神戸方面と書いて道路に立った。
最初の1時間、車は僕に見向きもしなかった。見てくれても何か痛いものを見る様な顔で通りすぎていく。悲しい、不安な気持ちよりもなぜ素通りされるのか?を考える様になっていた。ない頭を振り絞って様々な観点から考えた。もしかすると土地に問題があるのかもしれない。そこにいきたった。京都は高級住宅街が多い、まさにヒッチハイクをしている場所はThe高級住宅街だった。
高級住宅街→お金持ち→高級車が多い→高級車に変なやつ(ヒッチハイカー)を乗せたくない。←僕なりの分析です。
とりあえず高級住宅街を抜けるまで歩いた方が得策だと感じたので少しだけ歩くことにした。時間は14時ごろ太陽が気持ちよくもはや歩いて鹿児島まで向かったほうが早いんじゃないと思い、Google マップで調べた。僕の携帯がおかしかったのか、徒歩での行き方は教えてくれなかったのですぐにこの考えは諦めた。
歩くのは少しだけと思っていただが気づけば16時。目の前には京都駅がみえた。このまま電車に乗って帰ったらどれほど楽でおもろいだろう。
一応天秤にかけてみた。旅時間約4時間<旅時間未定
旅時間未定の勝利。なんだか楽しくなった。さらに追い風が吹いてきた。京都駅近くは車の通り多かった。早速段ボールを掲げてみた。暗い顔だと怖がられるかと思い満面の笑みで立ってみた。この半袖短パンの変質者極まりない笑顔が功を奏したのか開始15分で一台の車が止まってくれた。
Mさん 1台目
ハザードランプを焚き路肩に止まった車に走って向かう。窓を開けた男性は50歳の紳士的な人だった。
紳士:「君、神戸方面ってどこまで向かうん?」
変人(僕):「鹿児島です!」
紳士:「鹿児島かぁ。おっちゃん大阪までやったら乗せてあげられるけど乗っていくか?」
変人(僕):「フェイ!」嬉しすぎてはいって言えませんでした。
紳士:「ほなはよ乗り」
人生初のヒッチハイク 乗せてくださった方はMさんと言う人だった。
仕事の帰りにたまたま僕をみて拾ってくれたと言う。僕は嬉しすぎて開始4時間半で泣きそうになった。24時間テレビの終盤みたいな感覚になった。
会話は覚えてる範囲で書いていく。
Mさん:「それにしても鹿児島まで何しにいくん?」
僕:「知覧平和記念会館ってところに行こうと思ってます。」
Mさん:「wwww僕も行ったことあるけどヒッチハイクで行こうと思わんかったわ」
僕:「wwwですよね。たまたま読んだ本がヒッチハイクの本でやってみました」
Mさん:「ヒッチハイクの子を何回か乗せたことあるけどそう言う理由でやってる子は初めてやわ」
僕:「え????乗せたことあるんですか?てか僕以外でヒッチハイクやってる奴いるんですか?」
Mさん:「先週も乗せたよ」
僕:「先週?そんな日常にヒッチハイカーっております?」
Mさん:「意外とおるよ。先週の子は女の子2人組で日本一周してるって言いよったなぁ」
何そのYouTuberのはしりみたいな2人すごっwそう思ったのを今でも覚えている。
Mさんは仕事の話、家族の事、色々話してくれた。孫が高校生でその年代には優しくしてしまうとの事で乗せてくれたみたいだった。全力笑顔はあんまり関係なかった。
Mさん:「少しコンビニに寄っていいかな?」
僕:「はい!!」
トイレに行ったのかと思い待っていたらおにぎりとお茶を僕にくれた。
知らない人から初めての優しさ。また24時間テレビ終盤の気持ちになった。
Mさん:「シャケにしたけど食べれるかな?」
こんな小童におにぎりまで提供してくれて具の中身まで気にしてくれるMさんは仏様の生まれ変わりだと思った。
僕:「大好きです。たった今世界一シャケが好きになりました。」
Mさんは笑ってくれた。
車中に食べるのは遠慮したが食べてもいいよと言ってくれたのでがっついて食べた。あまりにもお腹が減っていると思ったのか?Mさんが自分用に買ったものも僕にくれた。
Mさん:「人間は食べないとどうしてもネガティブに考えてしまったりするから食べれる時は必ず食べる様にしたほうがいい。もしこの先出会った人にご馳走になることがあったら遠慮せずもりもり食べさせてもらいなさい。笑顔で食べてたらきっと喜んでくれるよw」
僕:「はい!!めちゃくちゃ食べます!」
M:「それにしても食べっぷりがいいねこっちまでお腹が空いてきたわ」
wwwそんなこんなで大阪の寝屋川のファミリーマートでおろしてもらった。
Mさん:「こんなところで申し訳ない」
僕:「いえ本当にありがとうございます!正直Mさんがいなかったら僕は諦めていたと思います。本当にありがとうございます。」
ありがとうを本気で言ったのはこの時だったかもしれない。
1つ目の教訓
・ご飯はちゃんと食べる。
この年になってもネガティブになることがある、忙しすぎてとかそんな時こそ僕は食べる。そうすると自然とアイデアが生まれるし、なんで悩んでいたのかとすぐに解決したりする。
女神様 2台目
Mさんと別れてからファミリーマートの定員さんに段ボールとマジックをかりて岡山方面と書いた。時間は17時半だった。
高速道路の下のファミリーマートだったので、利用してる方に交渉してすぐに乗せてのもらえると思ったがこの考えが甘かった。そこから約1時間半、ファミリーマートにもお客さんは来なかった。車の通りも少なく陽も落ちようとしていた。
暗くなり少し心細くなっていた時、おばちゃん店員さんがでてきて、「この辺りは車の通りも少ないからここで待ってても多分確率は少ないで!車の通りが多いところまで乗せてってあげるわ。もうすぐ仕事おわるから待っとき!」
おばちゃん店員さんが女神に見えた。
僕は仕事終わりの女神にそこから30分の大きいコンビニまで乗せもらうことになった。
女神:「あんた大学生?」
僕:「はい」
女神:「私の息子も大学生よ。普段は絶対にこんなことせえへんのやけどあんたみてたらかわいそうになってww」
どうやらレジから僕のことを見てずっと気にしていてくれた様だった。
僕:「ありがたいですw」
僕と息子さんは同い年だった。息子さんは浪人していたので今は2回生で地方の大学に通っているそうだ。
女神:「親はヒッチハイクの事知ってるん?」
僕:「いえ。終わったら話そうとおもってます。この先のこと含めて。」
女神:「そう。私たちは息子が普段何をしているか?そう言うことを話してくれるのが一番嬉しいんよ。やから帰ったらちゃんと話すんやであんたがこの先どんなに辛いことが起きても絶対に味方でいてくれる存在やから」
女神様はそう言うとどこか寂しそうな表情をしていた。
僕は無性に家族に会いたくなった。ここ最近はあまり話すことも少なくなっていたし、会話すると将来の話ばかりで避けていた。帰ったら全部話そう。そう決めた。
女神:「ついたよ!!私もたまには息子に連絡してみるわ!ありがとう」
僕:「こちらこそありがとうございました!僕も家族に全部話してみます。」
女神は笑ってクラクション一回鳴らしてさよならをした。
教訓その2
「家族はいつでも味方でいてくれる」
26歳になり最近ますます思う様になった事、親は偉大すぎる。親父から仕事の愚痴を聞いたことがないし、おかんからもそんな話を聞いたことがない。この度が終わって初めて親と向き合い話した時のことをよく思い出します。その話はまたいづれ。