バックミンスター・フラー~宇宙との調和の意思~
「失敗をしなくなった時にはじめて、成功するのだ」
「失敗をしなくなった時にはじめて、成功するのだ」
バックミンスター・フラーは、ブラック・マウンテン・カレッジで教えていた学生に対してこう助言した。
ブラック・マウンテン・カレッジとは1933年にノース・キャロライナに作られた、ヴァルター・グロピウス、ジョゼフ・アルバース、マルセル・ブロイヤーなどバウハウスからアメリカに渡った建築家やデザイナー、マース・カニングハム、ジョン・ケージ、ロバート・ラウシェンバーグなどの現代アートの巨匠らが講師を務めていた伝説の美術学校だ。
壮大な失敗の連続。バックミンスター・フラーの生涯はそう定義することもできる。
バックミンスター・フラーが唯一商業的に成功したのは、後にフラー・ドームとして有名になる正二十面体を曲面に近似して作ったジオデシック・ドームだけである。
バックミンスター・フラーの最初の失敗は、ストッケードと呼ばれるセメントとかんな屑から作った建築用のブロックを製造する会社が破綻したことだ。
苦しい生活と最初の娘を亡くした自責が重なり、32歳のフラーはミシガン湖のほとりをさまよいながら、自殺を考える。最終的に自殺を思いとどまったフラーはこう考える。もう一度自分自身の言葉と経験でこの宇宙と対峙してみよう、と。
自殺する代わりに、自分自身のコスモロジーを構築するために生きる決心をする。バックミンスター・フラーの余人には想像できない天才性を象徴するようなエピソードだ。
フラーは自らを「実験としての生涯」あるいは「モルモットB」と呼び、人類が宇宙と調和して生きるすべを発見することに生涯をかけた。
「自然は人間に成功させようとしている。自然は人間に重要な役割を担うための準備をさせているのだ」。諦めを知らない不屈の精神は、まるで聖書のなかの神に試された存在ヨブのようだ。
今の世界がうまくいっていないのは、そのやり方が不適切で、宇宙との調和、宇宙の普遍へと至っていたいからだ、フラーはそう考えた。
例えば、フラーはこう主張した。全世界の機械の稼働率は5%にすぎず、これを倍にするだけで地球のエネルギー問題、ひいては、環境汚染、人口爆発、資源戦争などはすべて解決する、と。
「More for less」最小の資源で最大の効果を
「Less is more」ならぬ「More for less」をスローガンに、最小の資源で最大の効果を達成するという発想で数々の発明にチャレンジする。
無用な装飾に心血を注ぎ、閉鎖的な業界技術に依存して作られていた当時の住宅を、資源の浪費と切り捨てた衝撃的な<ダイマクション・ハウス>。
馬車の意匠を模して製造されていた当時の自動車のなかにあって、合理的な移動体としての究極の姿を、鳥や飛行機に求めた革命的な<ダイマクション・カー>。
住宅産業は、建設産業ではなく、電話のようなシステムとしての産業としてあるべきだとしてダイマクション・ハウスを発展させた量産型住宅プロトタイプ<ウィチタ>。
最小で最強の構造を探求した<テンセグリティ構造>や<ジオデシック構造>などバックミンスター・フラーの発明は、すべて、宇宙との調和を求め、宇宙の普遍に至る道程だといえる。
今こそ、バックミンスター・フラーの言葉を
権力闘争や戦争は、人類が宇宙や地球との調和を見出せない段階で、生き残りや独占を求める未熟な発想から生まれたもので、人類が宇宙との調和の手段を発見できれば、政治は不用だ、として政治や権威を嫌悪した。
「生き残りではなく包摂を」、「攻撃ではなく陳腐化による更新を」、「剣を鍬の刃に」。こうしたフラーの態度は、既存の組織や業界やアカデミズムから徹底的に無視される結果を生んだ。
しかしながら、意外にもというべきか、やはりというべきか、こうした権威に頼らないフラーの独立不羈の姿勢や地球規模の構えの大きい発想は、1960年代のカウンター・カルチャーの時代になって大いに注目を集める。
カウンター・カルチャーのバイブル的存在の雑誌『ホール・アースカタログ』は、スチュアート・ブランドが、バックミンスター・フラーの講演を聴いたことがきっかけになって作られている。
フラーはなぜ失敗し続けたのか。それは人類が宇宙との調和など真剣に必要としていなかったから、とも言えるかもしれない。
「政治はいつも最終的には軍備に頼ることになる」、「原子爆弾の次にもっとも危険なのは、組織化された宗教である」、「所有はしだいに負担になり、不経済になり、それゆえ時代遅れになりつつある」。
こうしたバックミンスター・フラーの言葉が、死後三十年以上たった今、かつて以上に抜き差しならない調子を帯びて響くということは、どういうことなのかを、われわれは深く考えてみる必要がある。
以上