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建築家の住宅論を読む<3> ~黒沢隆『個室群住居』~

戦後の日本の住宅事情を振り返ってみると、庭付き一戸建てが「住宅すごろくの"上がり"」だった時代、核家族ファミリーが3LDKのマンションに憧れた時代、バブルによる値上がりで住宅が高嶺の花となった時代、コロナ禍を契機に職住の概念があいまいになった現在など、時代の変遷につれて、住宅を取り巻く環境は大きく変化し、そのたびに人々の住宅観も大きく変わってきました。

そんななか、家族や社会とのかかわりで住宅をその根本に立ち返って、さまざまに思考してきたのが建築家でした。その捉え方は、往々にして一般に流布している住宅のイメージとは大きく異なる個性的でユニークなものでした。

人口減少社会の到来、高齢化の進展、家余りと空き家問題、所有にこだわらないシェアという価値観の登場など、今、住宅を取り巻く社会と環境は再び大きく変化しています。

そこで、これからの住宅に思いを馳せながら、改めて 建築家たちが深く思考を巡らせたユニークな住宅論をもう一度読んでみたいと思います。 

住宅から近代を問う。


黒沢隆の『個室群住居』(住まいの図書館出版局,1997)は、住宅から近代を問う住宅論です。それは今の住宅と今の家族の起源を問うことにほかなりません。
 
近代住居の特徴は、「単婚家族(核家族のことです)」と「私生活の場としての住居(専用住宅)」の2つです。
 
18世紀のバロック時代の宮殿(例えばベルサイユ宮殿)における私室の成立がきっかけになり、それまでの、多世代や他人が同居する家族形態と働く場と不可分の居住形態に変化が起り、その後19世紀の産業革命を経て、労働者と彼らのための住宅が登場し、核家族のための専有住宅という近代住居が誕生し、今に至っています。
 
近代住居は、家屋としては、リビングルーム+複数の個室という構成となり、家族としては「夫婦の一体的性格」に収斂します。「一体的性格」とは賃金労働を担う夫と家事・育児を担う妻が夫婦一体で役割を担っているという意味です。 

職住分離や専用住宅という概念が限界に。


日本では1970年前後からこうした近代の前提に変化が起り、今日に至りますます進行中です。企業戦士と性と家事労働を提供する専業主婦がペアとなり、高度経済成長を支えるという構図が崩れ初め、女性の就労が進行し、核家族や専業主婦が主流ではなくなり、20世紀における産業の高度化とIT技術の浸透は、職住分離や専用住宅という概念を古くさいものとしています。
 
社会を構成する単位が、家族から自立し独立した個人へと変化する、これが黒沢隆が至った結論でした。そしてそうした時代に対応する住宅として、個人単位の空間である個室が集合した<個室群住居>という概念を提唱し実践しました。
 
<個室群住居>という言葉で黒沢隆が思い描いていたのは、単なるワンルーム住居が集積する社会ではありませんでした。
 
(家族が消滅した社会とは)「社会そのものが巨大な家族であるかのように構成されずにはすまない。それは近代建築家の憧れつづけた「コミュニティ」であるかもかもしれない」との言葉の通り、住宅が個室の集まりになると同時に、団欒や家事や育児や高齢者のケアなどを個室を取り巻く外部が担うような社会のあり様が想像されていました。

近代の終焉は新たな包摂の社会を生み出すか? 


近代によって伝統的コミュニティが崩壊し「家族」が生まれた。歴史はもう一回転して、近代の終焉により、「家族」が消滅すると同時に、自立した「個」と社会の家族化が実現する、そう黒沢隆は主張しました。
 
住宅から近代を問い続けた黒沢隆の論理は、近代の終焉は新たな包摂の社会を生み出す可能性を示唆することに帰結しました。
 
この帰結を、非現実的な夢想やユートピアと思うか、それとも、賭けるに値する可能性と思うか、「家族」の黄昏はいよいよ明らかなように思えます。
 
 

黒沢隆(1941-2014)
日本大学理工学部、同大学院で建築を学び、自らの設計事務所で住宅作品を発表しながら、同大学生産工学部などを初めとして、非常勤講師を多数歴任し建築教育に当たった。人類学や近代史に領域を広げた思考から生まれたのが書籍名にもなっている『個室群住居』という概念。『近代=時代のなかの住居』、『集合住宅原論の試み』など評論も多数。山本理顕は後輩にあたる。
 
初出:houzz site


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