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「裏方」の儚さ

私は今まで裏方という立ち位置に興味を持ち、参加してきた。

中学、高校では修学旅行の運営委員会、
大学では文化祭実行委員会。

興味を持った動機は色々あるが、「人と違うことがしたい」「皆が知らない情報をいち早く知りたい」という気持ちが大きかったのだと思う。

友達からも親からも皮肉のように「そんな忙しいだけの雑用やらなきゃいいじゃん」と言われたことが何回もある。

正直はじめは否定できないことが悔しかった。

でも次第に、完成まで1から作り上げる楽しさと終わった時の儚さを知らないからこそ言えるんだろうなぁ、「言ってろ言ってろ、こんな経験味わえない方が可哀想だわ」と達観することで心を落ち着かせるようになった。

大学の文化祭なんか、参加しなければ休みになるのだから、別に来なくていい。

それでも、授業がなくてもわざわざ来て、睡眠時間を削ってまで集まって無給で作業して完成まで「皆で」持っていく。

この作業は周りから観たら雑用かもしれないけど、日常生活では絶対に味わえないし表現することのできない「良さ」が詰まっているのである。

サークルとも部活でも味わうことのできない短期集中型かつ、明確に終わりがあるからこそ来る良さ。

目立てて、見てる人が凄いと歓声をあげる「表」の出演者。
でもその「裏」には褒められることもなく、作業も地味だが、たった1つの舞台を完成させるために動いている人たちが存在する。

この目立つことのない裏方だからこそ、かっこよさと魅力を感じてやり始めたのだと思う。

そんな舞台もすぐに終わる。修学旅行でも文化祭であっても。遠くて長いように見えた物語も、気がついたら終わっていてまた変わらぬ日常に戻る。

文化祭に来ていな人からすればただの休み4日。

でも裏方として常に動き回っていたからこそわかる、この4日間のお祭りと準備期間の非日常感。

関わった人にしかわからないこの楽しさ、優越感と、突如感じる喪失感はなんとも言えない気持ちにさせてくる。

そっか文化祭実行委員になって、もう3年たったのか…もう次のお祭りは味わえないのかと

別の喪失感を感じたが、それも良さなのだと言い聞かせ、また新たな裏方を探しに生きていくことにする。



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