ストレスと悪口
日本人って誰にでも礼儀正しく優しい人種って評価されがちだけど、半分そう考えて行動しなきゃいけない、そう生きなさいって押し付けられてきたからこそできた文化でもあるよな。
だから空気を読むって文化が生まれて、外でいい子になって、言いたいことを主張できずに押し付けられてストレスが溜まりまくる。
生きるのが辛くなった人は人身事故とかの自殺を「社会から逃げるため」平気で起こすようになってしまう。
死ぬという選択をしなくても日常生活で言えない不満とかストレスをSNS上で「人を攻撃する」という形で発散する。
自分と全く関わりのない人達を、当事者じゃないのに騒ぎを大きくし叩きまくる。
いくら叩いて攻撃しても匿名だから痛くない。周りが叩いてるし関係ないと思い込む。
日常生活であった嫌なことを全て発散するかのようにアンチ活動をする。
『SNSをやっているならしょうがない』
『耐えれないならSNS辞めな』
『表現の自由じゃん』
よく聞くフレーズだし、実際に前に言われたことがある。
ふざけんな
勝手に意見を押し付けんな
表現の自由はその通りかもしれんが、だからといって人を傷つけていい理由にはならない
なんでそんなに対面じゃない、顔が見えないフィールドだからって刃物を突き刺すことができるのか
かつて3-A組というドラマの中で菅田将暉が言っていたじゃないか
『お前に足りなかったものは想像力だ。もし、自分の家の窓を割られたら、自分の服を切り裂かれたら、どんな思いをするのか?嘘の投稿で言われのない中傷を受けたら、どれほど傷つくのか?お前には、その痛みを想像できなかったのか?』と。
自分のちょっとした発言でその人を傷つける可能性があることを理解しなくちゃいけない。
自分はメインで発言しできなくても、促すような行動とか拡散によってその人がどれだけ苦しむのかを。
『相手に何をしたら傷つくのか、何をされたら痛むのか。お前達にはそれに気づかない、感情が麻痺した大人にはなって欲しくなかった。』
日常生活で目の前にいる知らない他人に対していきなり暴言言ったらまずいことはわかっているのになぜSNS上でやってしまうのか
書く前になぜ冷静に考えて踏みとどまることはできないのか
本当に疑問です。
こんな偉そうに書いときながら最近友達の悪口をノリで言ってしまうことがあります。
この文章はそんな自分に対しての戒めでもあります。
いないとは思いますが、もし心の何処かに思い当たる節があるなら少しだけ行動を変えてみませんか
心に余裕のある人は絶対に人の悪口を言ったり書いたりしません。
だってその時間がいかに無駄で無意味なことかを知っているから。
ストレスをなるだけなくして心に余裕を持てるような人になりたいです。