隅
前進している感覚がない。小さなヨットでふらふらしている巨大な海を前にただぼう然とする。誰かの足跡ばかり見てはおどろき、自分の凡人さを嘆く。そんな時間はムダというものだ。モヤモヤする。人間関係も進路も全部モヤモヤしないことなんてない。変なAVを見たりする。そんな自分の人生は終わってる。汚れているのか、こじらせているのか。性をこじらせるとロクなことにならない。27年生きてきてコレだ、やれやれと言うほかない。やれやれ。27才はちっとも楽しくない。星野源さんは『灯台』という歌の中で、
「君は若くていいねなんて 知らねえよカスが もし僕が明日死んだらそれが一生なんだ」
と歌った。そうだ、憂鬱なのだ。若いからいいねじゃねえのだ。クソが。
27才が若いかどうかは分からないが、それなりに生きづらいんだ。毎日3食ご飯を食べていても心が晴れない。若者もじいさんもそれぞれに憂鬱だ。
塩谷舞さんのエッセイ「ここじゃない世界に行きたかった」を読んでいる。彼女のようにボキャブラリーと感性があり、細かな思考ができる人の文章は心地よく読める。アメリカでの夫との共同生活について、価値観が違っていても、お互いが見る方向が違っていても一緒に生きていくことはできる、ということを書いていた。そういう人がこの世にいるんだと思い、うれしかった。他者を理解することを、特に大切な人に対してできる、というのは大変なことだから。そして、自分は塩谷さんのような文章が書けないから、こうやって泥みたいな文章を書く。職業作家が羨ましいが、彼女たちがどんな経緯でひたむきさで書いてきたのか、何を感じざるをえず、生活を生き延びてきたのか。を知らずに妬みたくもない。いい文章は誰かに見つかる、と思う。でも自分は、ぼくは誰にも見つからないだろうし、じいさんになってもこうやって愚痴みたいな泥だんごの文章をこね続けるだろう。死ぬまで本を読み、死ぬまで泥だんごをこねる人生。それが自分の人生だ。