8年間ありがとう、沖縄
高校3年生の進路は、ただ「北海道か沖縄に行きたい」だった。
住み慣れた地元を離れたくて「地元からなるべく遠くに行きたい」とも言ったらしい。父はその言葉を忘れていなかったようで、言われた側は意外と覚えているもんなのだなと思った。
27才で沖縄を離れるため、この8年で人生の3分の1くらいを過ごしたことになる。次の住所は地元だから、
地元→沖縄(大学入学~27才)→地元
であり、この規則性は何なのだろうと思う。
正確には大学を休学して1年地元にいたので、
地元→沖縄(大学入学~大学2年)→地元(休学1年)→沖縄(~27才)→地元
となる。なんだろうこのサイクルは。
地元を必ずサンドイッチしないと気が済まないのだろうか。
高校生の自分は「血縁や友人たちから離れたい」と心から思い、
那覇空港へやって来たというのに。
地元を離れたいと思いながら、地元が好きだとも思う。
複雑な気持ちがある。家族や友人たちを嫌いになりたくないから、
物理的に距離を取って暮らしたいというのもある。
自分は人との距離がないと、きっと大切にできないのだろうから。
この土地では、地元と同じように嫌な人と好きな人ができた。
27才になっても、いろんな人を傷つけてしまって、
「おまえは沖縄で何を学んできたんだ?どれだけ成長したんだ?」
と自問自答して運転中に大泣きしたこともあった。
沖縄という土地は、沖縄の人たちの歴史が蓄積された場所で、おじいおばあたちがつないできたバトンを意識してつないでいく場所でもあると思う。
そのような個人的かつ歴史的な場所に住んで、この土地で生活できた日々は、いつか思い返した時に60歳ごろ、司馬遼太郎みたいな髪形の自分が沖縄に住んでいたのを温かい記憶として思い出せたらうれしい。これからも、沖縄が二度と戦争に巻き込まれないことを願う。
地元に戻ったら何をしよう、と思う。まずは仕事を探さなくてはなるまい。貯金0だし。すぐに他の仕事を探して、今度は正社員で働こうと思う。
それが無理ならバイトで1年働いて、貯金して東京で転職活動しようかと思う。そしてゆくゆくは青年海外協力隊に参加出来たらいいなと思うのだ。
これが自分のざっくりとした進路方針だ。とりあえず、一人で突っ走らずに、転職エージェントやキャリアコンサルタントに相談してみようかな。
結局、何が言いたかったのかというと、スーパーの沖縄そばで作った焼きそばはモチモチでたいへん美味しかったというお話です。沖縄そばは100円で400グラムほど買えたので、焼きそばを安くで作る裏技だった。
そして、かわいい猫たちが公園や駐車場、歩道で散見される土地でもあった。ゴワゴワした親分肌の三毛猫や、夏目友人帳のニャンコ先生のようなまだら模様の人懐っこい猫、駐車場のバイクの上で眠るかわいい白黒猫。
この土地の気候が猫たちには心地よいのだろうか。ってか、野生の猫を触る人ってすごいよな。噛まれそうだ。フニャー!触るなタコ!って思われるんじゃないかって。そういう性格だからか、積極的に猫とも人とも関われていないのだが(それはとても哀しいことだ)。
また沖縄に来る時は、なじみの理容室でマスターと馬鹿な話をしたい。
そしてルートビアをお代わりして、ここら辺住んでたよーとか言いたい。
できたら恋人と一緒に来たいね。懐かしい先輩たちや後輩たちに会いに。
路上で酒を飲んだのも、沖縄のいい思い出である。
みなさん、お元気で。
ワイは地元で頑張りますわ。
また遊ぼうぜ、ブラザー。