朗読はお好きですか?
突然ですが、朗読は好きですか?
聞く方でも読む方でも。
わたくしは元々どちらも好きで、読み聞かせなんかも大好きでした。
ええ、過去形になってしまいますが。
というのも、ここ連日𝕏さんのおすすめなる欄に某妖怪映画のお話が流れてくるのですが、その中でもなにやらかのイベントで声優さん方が朗読会を行ったという情報を目にいたしまして。
唐突に過去の記憶が思い起こされたので、折角ならばと書き留めようかと思いました。
朗読とはどうあるべき?
わたくしがトーフェルとしてではない名前で配信を行っていた過去は都度お話していますが、その中でも一度だけ朗読の配信を行ったことがあるのです。
たった一度だけ。本当はお話をすることが好きなのでそこから何度かやるつもりがあったのですが、他人の意見とは大層心に強く影響を及ぼすものでして。それ以後できなくなってしまったのです。
そもそも朗読とはどのようなものであるべきか?
声に出して、誰かに伝えるようにお話を読むこと。正直なところ、それで十分かと思います。読み方の上手い下手はあるとしても、朗読とはそういうものだと認識していました。
そして同時にお話を言葉で伝える事で相手に想像してもらう行為だと思っていますし、調べてみればそのような話しをされているところもあるのです。
この辺りの考えはTRPGをプレイするようになってから尚の事思うようになりましたが、無論当時もそう思っていました。
ですが、当時朗読を行った際のコメントに「朗読は声色を変えたり感情を込めないのが普通」というものがあったのです。
わたくし自身、そんなにたくさんコメントをいただくような配信者ではなかったが故にそのコメントはとても目を引きました。
そして配信終了後、朗読について改めて検索をしました。朗読はどのようなものであるべきなのか。わたくしが知らないだけで高度な知識や技術が必要なものであるのか、などなど、、、
結局そのコメントの裏付けとなるような言説には出会えませんでした。同時にそのコメントをなさった方もたまたまいらしただけだったようで、その後お会いすることはありませんでした。
けれど、わたくしの心の中には棘のように刺さったままなのです。
故に今色々な方が朗読配信などをされているとチクリと胸が痛むのです。別に誰もわたくしを責めているわけではないのに、「お前にできるものではない」と言われているような気持ちになるのです。
お話は冒頭に戻りまして、某妖怪映画の朗読イベントのレポートを拝見しました。
そこで語られる俳優様方の演技を賞賛する数々。
抉られるような胸の痛みと苦しさ、そしてそれらが背中からずるりと抜けてゆくような気持ちになりました。「なんだ、それでよかったのか」という気持ちと「間違ってなんていなかったんだ」という気持ち、そして何よりも「ただ一度のその言葉に囚われていたのは一体何だったのだ」という気持ちがどろどろと溢れてしまうのです。
誰かが悪いわけではないのです。強いて言うならば盲目になっていたわたくしが悪いのです。けれど心というものは身勝手なもので、どうしてこんな思いをし続けなくちゃいけないようなコメントを鵜呑みにしていたのだろうという暗い思いで一杯なのです。
ということでようやく開放された、というわけではなく。行き場のない憤りを今もなお抱えております。
ただどうすることもできないので、ここに書き留めさせていただいただけなのです。
まとめるような事はありませんです。
ただ、それだけのお話しなのでした。