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武田信玄の行ったまちづくりとは?〜金山開発+甲州法度之次第編〜


前回に引き続き、甲府市武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム)と山梨県立博物館に伺い、武田信玄のおこなったまちづくりについて取材した内容をお届けします。

前回までの振り返り〜信玄がおこなった4つのまちづくり〜

武田信玄がおこなったまちづくりは、大きくは4つあることがわかりました。

■信玄堤
釜無川の治水事業。御勅使川と釜無川との合流地点に堤防を築いたと言われている。

■金山開発
鉱山専門の職人集団をパートナーとし、金山開発を進める。信玄の時代には金が安定的に供給されていたと言われている。

■甲州法度之次第の制定
分国法として、紛争や社会問題に対処するための法令集、税制などの内容が含まれた「甲州法度之次第」を制定したと言われている。

■甲斐善光寺の創建
信濃にある善光寺の本尊の阿弥陀如来像や寺宝を甲府に移転させ、甲斐善光寺を創建したと言われている。

今回は、「金山開発」と「甲州法度之次第」を詳しくみていきます。

「金山開発」によって、信玄の時代には安定的に金の供給が行われていた

甲斐の国は15世紀後半から、金山の開発が進められていました。信玄は、金山の経営者であり職人集団である「金山衆」をパートナーとして保護し、産出した金の一部を徴収していたと言われています。

当時のことが書かれた書物や出土した金塊によると、信玄は特に「軍事」や「外交政策」で効果的に金を使用していたと考えられています。

  • 武功のあった者へ褒美として与える

  • 寺社に祈祷のお礼として献上する(外交)

また戦国期の甲府では、金粒が付着した土器が鍛冶細工職人の居住地や重臣の屋敷などで、多数発掘されており、金の細工が城下町でも行われていたと言われています。そのことから、信玄の時代には安定的に金の供給は行われていたと考えられています。

紛争や社会問題に対処するための法令集「甲州法度之次第」

信玄は、分国法(戦国大名が分国内での訴訟の公平性を確保するために制定した法令)として「甲州法度之次第」を制定しました。紛争や社会問題に対処するための法令集のような内容です。特に下記のような条文が多かったそうです。

  • 税制に関わること

  • 米銭貸借のトラブルに関わること

制定されたのは、信濃への侵攻を進めていた時期で、領国拡大において直面した課題解決のために法律を整備したと考えられています。加えて、戦国大名は、領国内のトラブルを解決することで領民の心を掴む側面があり、その点においても不可欠であったと思われます。

そして、「甲州法度之次第」の大きな特徴は、信玄自身もこの法の内容に従うと明記している点です。自らを法の下に置くことを定めた条文が、信玄の領国のリーダーとしての理念を物語っていると言われています。

次回について

次回は、「甲斐善光寺」と「取材の感想」について詳しくお伝えしていきたいと思います!お楽しみに!

本記事のライター:

高村大夢:山梨県山中湖村出身。韮崎高校卒業後、都内の大学に進学。現在は、山梨県内で生活しながら、東京都内の企業で非営利団体の資金調達のサポートに従事。大学時代に学生団体トップファンを立ち上げ。
本業で社会課題解決のサポートに携わっているが、「山梨ではどんな状況なのか、もっと知りたい」と思い、本メディアでライターを務めている。

望月南海:山梨県韮崎市出身。韮崎高校を卒業し、現在は実践女子大学4年生。トップファンに所属し、FM八ヶ岳のラジオパーソナリティを務める。教育、子ども、地域活性化に興味があり、本メディアでライターを務めている。

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