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神無月。猿沢池のほとりで秋風を感じる。なんだか無性にチルしたくなったら奈良においでよ。珈琲と美しい闇夜が待っている。
※この記事は2023年10月にANYニュースレターで配信した内容を加筆・修正してお届けしています。
常識を疑え!認識を変えろ!唯識に浸れ!
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いまだに解決しないファストファッション問題の常闇。
服をつくる過程で過酷な労働が低賃金で行われている。 そして処分される服は古着として途上国へ向かっていく。
ケニアやガーナではそんな古着の終着点として、大量廃棄や最終処分場とさせられて後始末を押し付けられているような状況になりつつあるそうです。
10年以上前からこんな話を耳にしていたのにかかわらず、2023年今現在いまだに同じ問題が取り上げられるのは何故だろう?
アウトドアブランド “Patagonia” はグリーンに面舵一杯きったのに、瞬く間にあたらしい激安ファッションブランド、”Shein” のようなファストファッションブランドが人気になっている。(気がしてる)感覚としてはPatagoniaの方が世の中に対してbetterなアプローチしていて価値も評価も高そうであるにも関わらず。
それは私たちの”人間としての本質”がずーっと変わってないから繰り返される。 人間楽をしたいし、臭いものにはフタをする。自分が心地よく豊かにありたい。
そんな私たちの中にある倫理観が変わらない限り、世界には常に闇が存在し続けるだろう。
もしくは常に闇がなければ私たちは存在しえれないのであろうか?
秋の夜長でも時間が足りないくらい対話が続けれそうな内容です。
みんな人間だよ!と思えないのは何故か?
そして、先進国と途上国の他に”人種の光と闇”も今だに地球上で存在しています。
人種差別は今この世界のどこかでもきっと起きているんだと思います。
ここ最近になって、2022年3月にアイルランドで開催された競技会での表彰式の様子が物議を醸しています。
日本人にとって、人種についての感覚は生活レベルでは感じる事はまだまだ少ないと思います。 「あそこの国の人はー・・」とか「外国人がー・・」という海の向こうの話でしょ的な会話もちょくちょくあります。
良くも悪くも日本人とその他の国の人々。という感覚なのかな?と思います。 だから、アイルランドの表彰式の件もなんだか大変ね。悲しいね。くらいな感想が多そうです。
しかし当事者達にしたら、普段の暮らしの中で起こってる出来事なので、私たちとは感じ方、捉え方が全く違うでしょう。
だって、みんな表彰式でメダルをもらってるのに自分だけメダルをもらえなかったなんて経験したら今後の生き方に関わります。(この出来事の詳細は下記にリンクをご用意してます)
そもそも、人種差別という言葉自体が現代人類史にまだ根強く残っていることが問題でこれらの問題に対して私たち日本人も含めて世界でもっと対話が必要だと感じます。
「みんな人間」「地球に住む人類」という感覚があればお互いを非難することも差別することもなく協力し合える世界をつくれるはずです。 しかし、人類は欲深いもので。自分が有利な立場になりたい生物。
区別はあっても差別のない世界を実現するのはまだまだ時間と様々な議論と対話、私たちの価値観の変化が必要そうです。
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意識を変えると世界も変わる。きっと。
人類それぞれが常識に囚われず、物事を疑って見つめ直すことができたら変えられる事、いい方向に舵をきって進める事が、気づいてないだけでたくさんあるような気がしています。
今私たちが認識している”幸せな暮らし”は本当に幸せなのか? この地球上には様々な人と生命と自然と、たくさんの存在があります。
その中の何かを犠牲にしてまで得た上等な暮らしや、不幸の反対側にいる幸せは、自信をもって最高だと言えるのか?
仏教にある唯識論では「すべてのものは相互に関連して存在し、独立した実体を持たないと考えられている」とあります。
つまり、意識から物事が構成され、物事を意識が知覚している。 私たちの意識が世界というものを創り出しているという事だと思ってます。
まさに意識を変えてみる事で、視点が変わり、自分の周りの当たり前を疑ったりしてみることは、自分の周りに広がる世界を変えることにもなると思います。
様々な事に対して、認識を改めるように意識的に自分の周りの世界を見つめ直してみる事で価値観が変わったり、倫理観がアップデートされ、それらが新しい世界を創るヒントにもなるはずです。
是非この秋、たまにはゆっくりと、そして意識的に自分の周りの常識を、色々な視点から考えて唯識にヒタヒタに浸ってください。
アングル:ファストファッションの「最終処分場化」に抵抗するガーナ
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