ADHDという名の個性
片付けができないことがずーっと悩みだったのが、このADHDという言葉を知って、安心したのを今でも覚えている。
実際にわたしは正社員で働いた時に盛大にその特性を発揮して、支店長のいる5人規模のミーティングで寝てしまったのだ。
そのとき「病院行け」と言われたことを素直に受け止めて診断された。
まあ、その前は睡眠障害とか言われたから別の病院も行かされたけど、そのADHDというレッテルに救われたのだ。
処方された薬は3日で終わった。
そもそも飲み忘れるし、激務すぎて飲めるタイミング失うし、なんでわたしが上司のためだけに薬飲まないといけないの?となったのだ。
ずーっと20代の時はその障害を弊害だと思っていた。
病院行けと言った上司からは「そんなん誰でもある症状やから言い訳だ」と言われてから誰にも言えなかった。
どうせ言っても言い訳と言われるんだろうと。
誰もが当たり前にできることができない。
私にとっては頭の中で箇条書きとしてチェックリストがないとできない。
ゴミをゴミ箱に捨てることすら、時間を守ることすら。
でも少しずつ自分の扱い方がわかってきたから人にはわからないくらいにはなったと思う。
20代後半からはもうこれはわたしの個性だと思えた。だからと言って人に言うことはなかった。
ニュージーランドに行った時は衝撃的だった。
だって日本だと注意欠陥多動性な人って常識はずれなのに、これが個性として扱われてて、そんな肩書きなんてないのだ。
そもそも障害という括りですらない。
得意なことを伸ばしていこうという文化。
日本に戻った時、子どもがADHDだと悩むお母さんに数人であった。
だからわたしはこれを書こうと思った。
わたしは自分がADHDという症状を知って救われたのだ。
でも世界を見ると、ただの個性だと知れた。
「常識」という枠があるからこそ、はみ出したものは「障がい者」
人に合わせられないし、物は無くすし、人によくぶつかるし、片付けられないし、集中できないし、衝動的な感情が抑えられない。
そんなわたしも30代からは自分の扱い方がわかるようになって、それを個性として使えるようになった。
そもそも、社長とか何かを成し遂げる人はこんな人ばっかりだ。
人に合わせられないから自分で仕事をつくるのだ。
生きづらいから、はみ出すのだ。
でもそれはただただひと枠にすぎない。
わたしは自分がそんな個性を持てたことに誇りに思う。
夫はだいぶ理解するのに大変だったかもしれないけれど、多拠点移動にも付き合ってくれてる。
こんなにも人生が波瀾万丈な妻が持てて幸せだろうな!!!
本気でそう思ってる。笑
つまり、社会の小さい枠で見たらはみ出し物でも、世界の枠で見ると個性であり、日本以外の国では何も扱いは変わらない。
その名前を言い訳だという人もいるだろう。
言い訳にしてる人もいるかもしれない。
でもそれをマイナスとせず、プラスと捉えてほしいな。
そして「できない」のに「できるように頑張ってる」自分を認めてあげてほしいし、障害に関わらず感謝とリスペクトを持って接するような世界になったらいいな。
「障がい者だからできない」ではなく「どうやったらできるか?」は自分で考えられる。
世間の当たり前ができないことに悩んだけれど、「当たり前」なんて誰かが決めたものがそうなっただけ。わたしの「当たり前」「普通」とは違う。
人に迷惑をかけない境界線を意識しながら、自分のテリトリーに変えていこう。
人と違う自分だから誇れる自分なのだから。